「蝦夷地飛んでけトンデケ屯田兵」その1
「蝦夷地
飛んでけトンデケ屯田兵」
その1 釧路湿原の巻
東京羽田から約90分で
北の大地・道東の玄関口の釧路空港に降り立ち、
「釧路湿原」のど真ん中にある「釧路市湿原展望台」より
<北の大地満喫の旅>のスタートを切りました!!
「釧路湿原」は日本で最も広い湿原で、
その大きさは面積約1万9千haで
東京の都心がすっぽりと入ってしまうほどの広さです。
1987年(昭和62)の7月には28番目の
国立公園になりまいた!!
東部に塘路(とうろ)湖、シラルトロ湖、
達古武(たっこぶ)湖の3つの海跡湖があります。
釧路市出身で建築設計家である
毛綱 毅曠(もづな きこう)さんの
設計により建てられた、
「釧路市湿原 展望資料館」から
湿原ウォークを楽しみました。
展望資料館は西欧の古城を思われるフォルムで
釧路湿原に群生する「ヤチボウズ」を
モチーフとしているのだそうです。
「ヤチボウズ」とは、
スゲ類が湿地に生い茂り株を
形づくった珍しい植物。
「谷地坊主」または、
「野地坊主」と書きます。
冬季に土壌が凍って株ごと盛り上がり、
春先に株の根元の土壌が雪解け水などでえぐり取られ、
長年繰り返されることが成因に関係しているらしい。
その形や様子が「お坊さんの頭」に似ていることから、
ヤチ坊主とか。
***********************************
● 毛綱 毅曠 さんとは?
旭川市に昭和16年(1941)に生まれる。
建築家として「屈斜路コタンアイヌ民俗資料館(2001年)」
「釧路市湿原展望資料館(1984年:展望資料館)」
「釧路市立博物館(1984)」「釧路フィッシャーマンズワーフ(1989)」を手がける。
平成13年に60歳で逝去。
◎ アイヌ地名辞典
・釧路(くしろ)
諸説があるが、どれかは定かではない。
「クツチヤロ」(のど)「クシユル」(通路)
「クシベツ」「クシナイ」(通り抜けることのできる川)
・達古武湖(タッコブコ)
湖の名前の由来はアイヌ語の「タプコプ」。
コブのように盛り上がった小山という意味。
飛んでけトンデケ屯田兵」
その1 釧路湿原の巻
東京羽田から約90分で
北の大地・道東の玄関口の釧路空港に降り立ち、
「釧路湿原」のど真ん中にある「釧路市湿原展望台」より
<北の大地満喫の旅>のスタートを切りました!!
「釧路湿原」は日本で最も広い湿原で、
その大きさは面積約1万9千haで
東京の都心がすっぽりと入ってしまうほどの広さです。
1987年(昭和62)の7月には28番目の
国立公園になりまいた!!
東部に塘路(とうろ)湖、シラルトロ湖、
達古武(たっこぶ)湖の3つの海跡湖があります。
釧路市出身で建築設計家である
毛綱 毅曠(もづな きこう)さんの
設計により建てられた、
「釧路市湿原 展望資料館」から
湿原ウォークを楽しみました。
展望資料館は西欧の古城を思われるフォルムで
釧路湿原に群生する「ヤチボウズ」を
モチーフとしているのだそうです。
「ヤチボウズ」とは、
スゲ類が湿地に生い茂り株を
形づくった珍しい植物。
「谷地坊主」または、
「野地坊主」と書きます。
冬季に土壌が凍って株ごと盛り上がり、
春先に株の根元の土壌が雪解け水などでえぐり取られ、
長年繰り返されることが成因に関係しているらしい。
その形や様子が「お坊さんの頭」に似ていることから、
ヤチ坊主とか。
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● 毛綱 毅曠 さんとは?
旭川市に昭和16年(1941)に生まれる。
建築家として「屈斜路コタンアイヌ民俗資料館(2001年)」
「釧路市湿原展望資料館(1984年:展望資料館)」
「釧路市立博物館(1984)」「釧路フィッシャーマンズワーフ(1989)」を手がける。
平成13年に60歳で逝去。
◎ アイヌ地名辞典
・釧路(くしろ)
諸説があるが、どれかは定かではない。
「クツチヤロ」(のど)「クシユル」(通路)
「クシベツ」「クシナイ」(通り抜けることのできる川)
・達古武湖(タッコブコ)
湖の名前の由来はアイヌ語の「タプコプ」。
コブのように盛り上がった小山という意味。
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