あずまくだりんvol.6 逗子葉山の森戸大明神へ


富士がみえる!葉山の森戸大明神

葉山は石原裕次郎さんのゆかりの地。
青春時代を葉山で過ごし、
初主演『狂った果実』
葉山で撮影されたたとか。
「夢はとおく 白い帆に のって
 消えていく 消えていく 水のかなたに
 太陽の季節に 実る 狂った果実たちの
 先達 石原裕次郎を 偲んで

 平成元年7月17日 石原慎太郎」
          と刻まれる。

森戸海岸の700mほど沖 名島の岩礁
裕次郎灯台こと葉山灯台が建つ。
さらにその先に赤い鳥居が立つ、
名島とも菜島とも…
かの源頼朝は流刑地にほど近い
"三嶋明神"を深く信仰していて、
この地に分霊を歓請。
頼朝の別邸はこの近くにあり…
頼朝御世は地続きだったとか。

森戸川河口には海と川とが逢瀬、
境内より海に突き出た姿…

前置きが長くなりました…
森戸大明神

『吾妻鏡』によれば、
歴代将軍自らこの地を訪れ、
流鏑馬、笠懸、相撲などの
武事を行ったといいます。

阿形は子狛が玉を囓る様が刻されていて、
かなり風化などが進んでいますが、
台座石には太陽と富士と龍か?
東京青山石工 中村勝五郎さんの
手によるもので1907年(明治40)。

吽は珠に右脚を乗せる姿、
ただの透かし彫りの珠は、
ほぼ失われていました。
勇ましい竹虎の台座。

境内には"水天宮"

安産・子宝の篤い信仰を
あつめています。
"子宝石"を子授御守と持ち帰り、
赤ちゃんを授かったら安産祈願、
そしてお宮参り…子宝石納所へ。

「まいられよ 子宝の福 さづかりに」


猿田彦大神を祀った庚申塔
三浦半島では流れ造りの石祠は、
葉山町唯一とか。
享保11丙午天10月庚申日と刻、
1726年に建てられたもの。
三浦海岸の剣崎というところには、
庚申塔、猿田彦が20基ほど。
剣人型の豪快な青面金剛が
見飽きるほどとか…
猿田彦信仰と三浦半島、
探ると沼りそう。



境内裏の岩の上に立つ"千貫松"
頼朝が三浦氏の本拠地であった
衣笠城に向かう途中に立ち寄り、
「如何にも珍しき松」と褒めたところ、
三浦一族の和田義盛いわく
「我等はこれを千貫の値ありとて
 千貫松と呼びて候」


御神木は"飛柏槇"(ひびゃくしん)、
樹齢約800年とかで、
頼朝参拝の折 三嶋明神から
飛来して発芽したもとの伝わります。

みそぎ橋から臨む"飛柏槇"、
"かながわの名木100選"と
葉山町指定天然記念物。

鎌倉時代には"七瀬祓の霊所"とも
鎌倉の七瀬の一つであったそうで、
災厄が生じると加持祈祷がここで
行われたいたようで"みそぎ橋"。
七箇所の神聖な河海に臨んだロケーションの、
七瀬は由比ヶ濱・金洗澤池・固瀬川・
六浦・柚川・江の島龍穴、
そして森戸こと"杜戸"=森戸。

中世の鎌倉では"みそぎ"は、
鎌倉の中ではなく周囲にその場を
求めていたようです。


皇室の御用邸もある"葉山"
この地が地として最適であると
皇室に進言したのは、
マルチーノ公使・ベルツ博士
黒潮の影響で冬は暖かく、
夏は涼しい温暖の地で、
風光明媚であることに注目、
葉山御用邸の造営は、
1894年(明治27)のことで、
功績を称えて建てらたもの。

「堪忍の 股よりのぞけ 富士の山」
2・26事件暗殺の高橋是清の句、
近くにあった別荘跡地は、
"葉山交流館"が建っているとか。

富士をバックの大漁旗…
海に関わるものの信仰も篤い。
残念ながら富士山は見えず(T_T)

灯籠には海波をわたる兎

一年安鯛みくじは小吉でした。

フグみくじもありました。

詩人 堀口大学
「花はいろ 人はこころ」詩碑、
葉山町制50周年記念で建てられもの。
女優・森光子さんが好んで
色紙などに書いていたことでも有名。
「花は色 そして匂い。
 あなたは心 そしてやさしさ。
 雨の日には 雨を愛そう。
 風の日には 風を好もう。
 貧しくは 心に富もう 
 晴れた日は 散歩をしよう。」


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