TAROとHIROSHIMA


岡本太郎と広島
意外なことに微妙な距離感が
横たわってきたのです。
1963年発表の太郎さんの文章、
「ところで、あの日から十八年目、
 私のふれた広島の町は、
 あまりにも散文的で、
 何のあともとどめないようだった。
 見た目にも、モラルの上でも
」。

メキシコの地で描かれ、
長年にわたり行方不明の
《明日の神話》が発見され、
日本へ戻され修復された2003年。
《明日の神話》が描かれたのは、
《太陽の塔》の制作と同時期の、
1968年から1969年のこと…


2006年7月 東京・汐留で初公開された
同壁画の前で広島への誘致アピール。
その後も市民球場前に看板設置
2007年3月には岡本太郎記念日の
平野館長と面談が実現、
8月になって中国新聞に意見広告、
原爆ドーム沿いの元安川水面に
《明日の神話》が投影
されるなど…

広島と岡本太郎を繋ぐ人物、
その一番手は丹下健三その人。

あの万博の大屋根をぶち抜かれても、
KENZOとTAROは深く結びついていた
メキシコの壁画《明日の神話》
生まれるきっかけは、
現地で造園業を営む日系移民、
岐阜県出身の小栗順三さん。
「小栗社長は仕事上、
 建築家の知り合いが多く、
 丹下健三さんとも親しかった。
 丹下さんを共通の
 友人として知り合った…」とか。

《明日の神話》(ドローイング)
 1967 木炭・紙
 岡本太郎記念館

ちなみに小栗さん宅では1998年、
《明日の神話》の下絵が発見。
縦 1,3メートル、横 7.3メートル。
三分割してシーツに包まれ、
居間のソファの陰に隠れていたという。

岡本さんはメキシコを
全身で楽しんだようで、
道端のサボテンの果実を
トゲも抜かずにかぶりつき、
七転八倒したりした…とも。
「メキシコというのは、
 なんて怪しからん所だ。
 何千年も前から断りもなく、
 私のイミテーションを
 作っているなんて」

岡本は語っている。

メキシコ市を歩けば、官公庁や学校、
劇場など街角の公共建築に
たくさんの壁画が存在するらしい。
メキシコの巨匠・シケイロスは岡本に、
「金持ちに買ってもらうための絵、
 銀行預金のようにしまって
 おくための芸術に何の意味があるか」


古ぼけた一枚の写真…
1959年8月2日 広島市、
第五回原水禁世界大会の
関連行事で講演の岡本太郎。

大会の討議資料に第五福竜丸を
擬人化したユーモラスな挿絵…
《新しい怪物の世紀》とか。

こちら岡本の《燃える人》が掛かる
「日本人の記録」展の会場写真。
写真家 土門拳の姿ともに太郎さん、
岡本にとって心強い
広島案内人だったのです。

「岡本太郎展」の《明日の神話》を
Facebookにあげると…
ピカソのゲルニカみたいやなぁ」と。
《燃える人》
 1955 油絵・カンヴァス
 東京都国立近代美術館

1955年 東京で開催された
第三回日本国際美術展への出品作。
めらめらと燃える原色の炎にまみれ、
大きな目玉や内蔵…、
前年、太平洋ビキニ環礁で
被曝の第五福竜丸を意識した…
大音響の錯雑、
悲惨を突き抜けた哄笑の趣。

《明日の神話》より

巨匠パブロ・ピカソ
「ゲルニカ並みの傑作」
をするとの出品の伝聞、
太刀打ちしようという
気概を込めたのですが…
ピカソの出品は静物画の小品、
岡本は「肩すかしを食った」と。

《死の灰》
 1955 その後加筆 
 油彩・カンヴァス
 岡本太郎記念館

岡本は翌1956年《死の灰》を描く。
しばらく原爆を直接に扱った
作品はしばらく途絶える…
岡本の念頭に、
《燃える人》から《ゲルニカ》へ
意識があったかどうか…
岡本太郎に聞いても、
「くだらないことを聞くな」と
きっと一蹴するに違いない。
年譜をたどると、
《ゲルニカ》が描いたのピカソ56歳、
《明日の神話》に取りかかった
TARO 56years は単なる偶然なのか

《明日の神話》の落ち着き先…
広島でなく渋谷になりました。
吹田市長は「広島ならともかく。
なんで渋谷やねん。」と呟いた
とか。
2003年7月 岡本敏子さんが、
「広島は、太郎さんが亡くなった時、
 岡本太郎展を開催していた地で、
 縁が強い。…」

時が刻まれ2007年12月13日、
岡本太郎記念現代藝術振興財団は、
広島市、吹田市、渋谷
三自治体から設置場所を
選考すると発表した。

ただ2008年4月までの展示とされていた
東京都現代美術館の展示期間が
6月まで延びたという情報がはいり、
「広島不利」の想いが強まった
なぜなら渋谷駅コンコース
展示準備が完成できるとの
関係者の情報があったから…

渋谷では多くの人が壁画前を
足早に通り過ぎています。
立ち止まって壁画を観る人に、
怒涛のような流れが押し寄せる。
渋谷の地が終の棲家となるかどうか
それは誰も分からない…

原爆慰霊碑の碑文
「安らかに眠って下さい 
 過ちは 繰返しませぬから」

TAROの以下反論…
「もう一つ別な角度から、
 私はこのモラルを批判したい。
 『過ち』は過去のことだ。
 『繰返しませぬ』というのは
 未来である。だがここに象徴的に、
 現在が欠けている。
 とかく、過去の非をあやまり、
 未来を約す。
 ただ今こうであると誇り、
 生身で責任をとる、
 そういう強いモラルはうち出さない…」

《午後の日》
 1967 陶
 川崎市岡本太郎美術館

《明日の神話》第一号原画は、
2008年より広島市現代美術館
寄託されているのです。
契約上は3年更新だが、
その先は自動更新されて今に至る。
頰杖をついて笑う《午後の日》
中心で自分を二つに
引きちぎっているようにも。
笑いと空虚が同居するのは、
TAROそのヒトかも知れません

※このブログは以下の資料を参考にしました。
 中国新聞 被爆60周年 明日の神話
 岡本太郎のヒロシマ(2005年)
 「岡本太郎『明日の神話』
  広島誘致顛末記(1954-2009)」
 竹澤雄三 「藝術研究」21,22 2009年

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