京の冬の旅2022 仁和寺伽藍その1 二王門・金堂・経蔵をめぐって
仁和寺は888年(仁和4)の
創建のことですが、
1119年(元永2)に金堂など
多くの堂宇が焼失したものの、
同じ年に再建されています。
ただ…応仁の乱では、
かなり事情が違っていました。
西軍の陣が構えられていた仁和寺、
東軍の総攻撃で金堂も再び焼失。
『碧山日録』によると、
「東平焼北山仁和寺。正印之悟蔵司、
来説寺中西兵擾乱」と…
"擾乱(じょうらん)"とは
「定常状態からの乱れ」のこと…
最近この言葉を目にすることに、
テレビアニメ「擾乱」…
史実とは異なる歴史をたどった
明治の日本を舞台に、
政府お抱えの処刑人組織と
反体制派組織の争いとか。
仁和寺に再興の機会が訪れたのは、
乱から約150年後の寛永年間のこと。
『仁和寺御伝』によれば、
覚深法親王が上洛していた
三代将軍 家光に再興を申し入れ、
酒井讃岐守忠勝から承諾を得たと…
境内正面の巨大な"二王門"は、
1637-1644年(寛永14-正保元)の造営。
知恩院や南禅寺三門は禅宗様ですが、
山廊を持たない平安期の伝統の和様。
仁王門ではなく二王門と呼ぶのは、
1階および2階それぞれに屋根を持つ
"二重楼門"のためで…
阿形
吽形
後面の左右に唐獅子も阿形
吽形
御殿横を長らく往くと…朱塗り、
切妻造・本瓦葺・柱間三間の
八脚門の中門が石段上に立ちます。
側面の妻部には二重虹梁蟇股が
飾られていました。
右に東方天の持国天
左は西方天の多聞天
まっすぐ進むと金堂…
慶長年間造営の御所の
紫宸殿を移築したもので、
移築後は本瓦葺とされています。
"京の夏の旅2019"では、
内部が公開されていたようです。
紫宸殿の段階では吹放ちでしたが、
移築後に板扉を設けて
内陣・外陣と区切ることで、
密教儀式空間の隔絶性を確保…
奥に須弥壇を設けて、
来迎壁には正面に浄土殿閤図。
両側に多宝塔図と瑜祇塔(ゆぎとう)図。
1644年の運節作の阿弥陀三尊像。
金堂の屋根に亀にのる仙人は、
黄石公(こうせきこう) という人。
中国の秦(前778-前206) 末の隠者で、
前漢の張良に兵書を授けたとか…
兵法の祖として仰がれ、
兵法書『三略』が知られています。
亀は三千年か四千年に一度限り
水面に顔を出すとされていて、
黄石公はその亀を3、4回見たとか。
永遠の象徴として、
金堂屋根におられるのです。
正面はすべて蔀、
"二重楼門"のためで…
阿形
吽形
後面の左右に唐獅子も阿形
吽形
御殿横を長らく往くと…朱塗り、
切妻造・本瓦葺・柱間三間の
八脚門の中門が石段上に立ちます。
側面の妻部には二重虹梁蟇股が
飾られていました。
右に東方天の持国天
左は西方天の多聞天
まっすぐ進むと金堂…
慶長年間造営の御所の
紫宸殿を移築したもので、
移築後は本瓦葺とされています。
"京の夏の旅2019"では、
内部が公開されていたようです。
紫宸殿の段階では吹放ちでしたが、
移築後に板扉を設けて
内陣・外陣と区切ることで、
密教儀式空間の隔絶性を確保…
奥に須弥壇を設けて、
来迎壁には正面に浄土殿閤図。
両側に多宝塔図と瑜祇塔(ゆぎとう)図。
1644年の運節作の阿弥陀三尊像。
金堂の屋根に亀にのる仙人は、
黄石公(こうせきこう) という人。
中国の秦(前778-前206) 末の隠者で、
前漢の張良に兵書を授けたとか…
兵法の祖として仰がれ、
兵法書『三略』が知られています。
亀は三千年か四千年に一度限り
水面に顔を出すとされていて、
黄石公はその亀を3、4回見たとか。
永遠の象徴として、
金堂屋根におられるのです。
正面はすべて蔀、
妻壁を大虹梁上に大蟇股と
両側の大瓶束に二重虹梁…
西庇を取り除いた以外は、
紫宸殿の外観を遺しています。
金堂の東側に経蔵、
寛永年間に経典・密教儀軌など
膨大な整理した顕證が、
その保管のために建立を計画…
《顕證上人像》
『顕證上人伝』によれば、
顕證は常に練行を怠らず、
暑くとも袈裟を話さず、
極寒でも筆を手から
離さなかったとか…
平等院や奈良を訪れて、
伽藍配置や仏像配置などの
伽藍再興に力を注がれたと、
『巡礼記』や『和州霊地巡礼記』
に伝わっています。
聖教収納の効率化が図られた
回転式の"八角輪蔵"の周囲には、
釈迦如来などが安置されていて、
輪蔵をぐるっと1回転させると
全ての経典を読んだのと
同じ功徳が得られるのだとか…
ただ現在は文化財保護のため、
参拝者が輪蔵を1周して功徳を
得ることになっています。
金堂と同じく"京の夏の旅2019"で
特別公開されたのだそうです。
正面桟唐戸の両脇間には花頭窓、
質実な印象を受けるのは、
諸堂が和様基調に対して、
禅宗様で統一を図っているからかと。
金堂西側にあるのが鐘楼、
板張りの袴腰を付け、
飛檐垂木と地垂木の二軒、
簡素な組物ながらも、
典型的な和様を示していて、
経蔵の禅宗様との対比として、
なかなか面白い伽藍でした。
まだまだガランとした京の冬旅、
春はもうすぐそこまで…
桜が咲く頃には賑わいを!
仁和寺伽藍めぐり 続きます。
両側の大瓶束に二重虹梁…
西庇を取り除いた以外は、
紫宸殿の外観を遺しています。
金堂の東側に経蔵、
寛永年間に経典・密教儀軌など
膨大な整理した顕證が、
その保管のために建立を計画…
《顕證上人像》
『顕證上人伝』によれば、
顕證は常に練行を怠らず、
暑くとも袈裟を話さず、
極寒でも筆を手から
離さなかったとか…
平等院や奈良を訪れて、
伽藍配置や仏像配置などの
伽藍再興に力を注がれたと、
『巡礼記』や『和州霊地巡礼記』
に伝わっています。
聖教収納の効率化が図られた
回転式の"八角輪蔵"の周囲には、
釈迦如来などが安置されていて、
輪蔵をぐるっと1回転させると
全ての経典を読んだのと
同じ功徳が得られるのだとか…
ただ現在は文化財保護のため、
参拝者が輪蔵を1周して功徳を
得ることになっています。
金堂と同じく"京の夏の旅2019"で
特別公開されたのだそうです。
正面桟唐戸の両脇間には花頭窓、
質実な印象を受けるのは、
諸堂が和様基調に対して、
禅宗様で統一を図っているからかと。
金堂西側にあるのが鐘楼、
板張りの袴腰を付け、
飛檐垂木と地垂木の二軒、
簡素な組物ながらも、
典型的な和様を示していて、
経蔵の禅宗様との対比として、
なかなか面白い伽藍でした。
まだまだガランとした京の冬旅、
春はもうすぐそこまで…
桜が咲く頃には賑わいを!
仁和寺伽藍めぐり 続きます。