太子霊場めぐりvol.17 聖徳太子と開山堂


信貴山開祖は聖徳太子
しかしながら、
騎馬像のほかに境内に
太子の名を見つけることは
容易ではないのですが、
そもそも信貴山に堂宇を建立し、
自らが毘沙門天王を祀ったのが、
聖徳太子とされているのです。

大寅がみえる絵馬堂近くの鳥居

左手の石段を上ると開山堂とか…
"弘法大師"そして、
"南無大師遍照金剛"の幟。

四国八十八ヶ所霊場
お砂踏み巡りができるとあるので、
合祀にある"聖徳太子"を気づく人は
多くありません。

開山堂前の案内板も
弘法大師が主役のように綴られます。

四面にそれぞれに扁額…
裏手は弘法大師さま。

格子戸枠より拝しました。

江戸中期1722年(享保17)の建立、
河内国本堂村教心坊が願主とか…
聖徳太子、弘法大師、
命蓮上人 歓算上人
の像を四面に、
八十八カ所各寺のご本尊様
立体的にお祀りされています。

こちら北面の歓算上人

歓算上人は命蓮上人を継いだ
中興の祖 二世とか…

去る2月22日にこちら開山堂にて、
聖徳太子1400年御遠忌法要
営まれたのだそうです。
ちなみにこの日は太子の御命日

「信ずべき貴ぶべき山」として
信貴山と名付けられたのは、
聖徳太子が物部守屋討伐に勝利し、
毘沙門天王像を安置したことに因む。

開山堂には名物 堂守さんがおられます…
堂をたずねたときは扉は閉められていて、
「たぶん秘仏とかで見れないんだろな」
と思っていたら声をかけられ、
いろんなお話を伺いました。
「命蓮さんのファンか?」
「どっちから来た?」

虎次郎「大阪です…」
「石段上がってきたか?
 裏から来たんか?」
虎次郎 ^^; ^^; ^^;


開山堂までの石段105段、
堂内の階段数3段、合わせて108段
そう煩悩の数になっているそうだ
そして開山堂と本堂の高さは同じ。
聖徳太子御遠忌1400年御遠忌なのに、
信貴山ではあまり目立ったことがない…
と嘆いておられました。


法隆寺に残る"童形太子像"
像内墨書銘によると、
太子生誕505年の1069年に
信貴山僧で仏師の円快
手によるものだという。
太子信仰は信貴山に根付いてた、
そのことを伝える太子像です。
彩色は、法隆寺障子絵"聖徳太子絵伝"の
作者で画家の秦致貞によるもの。

次回は中興の祖 命蓮上人について…

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