四寺廻廊と陸奥の祈り 芭蕉と松島


「松島や ああ松島や 松島や」
塩竈港から"芭蕉コース巡り"で、
松島へ向かいました。
JR仙台駅から仙石線で本塩釜へ、
2011年とは逆ルートで松島遊覧を…

松島湾よりも塩竈湾への津波の被害は、
激しく当時は波消しブロックに、
小型船が打ち上げられたり、
塩竈市には自衛隊の救援テントなども
見られましたが…

2016年4月に完成した
津波避難デッキで道路横断なく
マリンゲート塩釜に向かいました。

港内には塩竈みなと祭で巡幸の
御座船 鳳凰丸と龍鳳丸

本塩釜駅近くに鹽竈神社があり、
神社の神輿をのせて巡航するとか。

湾内には震災復興事業として
2017年10月に全面共用された
塩竈市魚市場とか…

海上保安庁の巡視船"ざおう"とか…

七ヶ浜からつづく...

地蔵島

震災後FRP製となった
地蔵島灯台があります。

高遠島

仁王島

小藻根島(こもねじま)
もとは"長命穴"があったが、
大地震後に崩落した。

鷺島

鐘島
洞門が4つあり波が打ち寄せると、
鐘の鳴るように響き渡ることか。

材木島主水島
岩肌が材木を積み重ねたように
見えるの左が材木島。
主水の司という役職がいたと
伝わる主水島。

よろい島

兜島

伊達政宗がお気に召したという
"千貫島"は、館に運ぶものあらば
銭千貫を遣わすと申されたに因む。

松島に近づくと、鯛がとれるとか…
恵比寿島と呼ばれる島を含め、
おめでたい布袋島・大黒島などが、
点在しています。

福浦島をつなぐ福浦橋

瑞巌寺の前に立つ
「芭蕉翁 奥の細道 松島の文碑」
裏碑には12人の俳句が
刻まれているのですが…
芭蕉は松島の地では一句も
詠んでいないとされています。


芭蕉翁奧の細道 松島の文…
「抑ことふりにたれと松島は
 扶桑第一の好風にして
 凡洞庭、西湖を恥ず…」
と、
松島の景観は、見る場所によって
さまざまに趣を変え、
また四季折々の変化もすばらしい。

島々を見て初めて松島の
素晴らしさが実感できます。

しかしそれらは海上にあるため、
船を使わないと近くで
見ることができません。
松尾芭蕉はこのことを
知っていたのでのしょう…

丸文松島汽船の遊覧船「芭蕉コース」、
塩釜マリンゲートと松島の桟橋を
結んでいるのですが…
芭蕉も塩釜から船で松島に入ったそうで、
コース名はそのことにちなんでいます。

奥の細道』で旅立つ序文には、
「もゝ引の破をつゞり、
 笠の緒付かえて、
 三里に灸すゆるより、
 松島の月先心にかゝりて
 住る方は人に譲り、
 杉風が別墅に移るに…」

在城島馬の鞍掛島

芭蕉はこの旅の目的を
松島の観光の一つだたと
書いているにもかかわらず。
松島の句を詠まなかった…
随行 曾良の句
松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす」。

松島は景観の素晴らしさと
月の美しさから、
歌枕の地として有名でした。
ひょっとすると芭蕉は"松島の月"を
堪能できなかったのでは?

瑞巌寺前句碑の松島ではじまる二句
「松島や 光と影の 眩しかり」
「松島や ロマンささやく 夏の海」

台湾総統であった李登輝さんと
その夫人 曽文惠さんの句。

月見御殿とも呼ばれた"観瀾亭"、
秀吉から政宗が拝領した
伏見桃山城の一棟とも伝わります。
松島雄島には芭蕉の句碑が立つとか…
朝よさを 誰まつ志まぞ 片心
旅の直前の1689年(元禄2)の春に
詠まれたもので『桃舐集』にある。
松島に心惹かれるのは、
芭蕉の片思いだったのか。


松島名月ちゃんが出迎える松島桟橋、
「松島や ああ松島や 松島や」
江戸時代後期の狂歌師であった
田原坊の作で芭蕉の句ではありません
お間違いなく(T_T)

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