京都十六社めぐり わら天神宮


「わら天神宮」
正式には敷地神社といい…
なぜ「わら」なのか
「わらしべ長者」と関係あるの?
と思っていたら、
安産・子授けのご利益なので、
童=わらべ、わらわを指すと、
ググる検索でシッタカに(藁)

わら天神と呼ばれるきっかけは、
藁が入ったお守り 因むもの。
お守りは普通は中身を
改めないものですが、
紙のお守りと安産護符とある
「産気づいた時に飲むオブラート
なるものと、紙に包まれた
"わら"が入ってるそうです。

今でこそ医学の進歩もあり、
出産前診断なるもので
赤ちゃんの性別が早い段階から
分かるそんな時代ですが…
安産護符の藁に“節”があれば、
男の子でなければ女の子とか


主祭神は 木花開耶姫命
コノハナノサクヤヒメで、
一夜にして懐妊し、
次々と3人の子を出産した
と。
そんな逸話から、安産・子授け、
そして縁結びにご利益が
あるとされれています。

実は藁と子どもは古来から、
繋がりがあったそうで、
稲わらで編んだ籠にお供え物を
入れて神様に捧げていたそうです。
いつのころからか抜け落ちた"わら"を、
安産祈願の妊婦さんが
お守り代わりに…
いつしか「わら天神宮」。

本殿左に座しておられるのは
末社とされる"大山祇神社"。
大山祇神木花開耶姫命
父神にあたるのですが、
木花開耶姫命に一目惚れした
瓊々杵尊(ににぎのみこと)に、
木花開耶姫命とともに
その姉である磐長姫命
貢いだのだそうです。
しかしながら…
容姿端麗でなかった磐長姫命は、
返されてしまったのです。

「石女(うまずめ)」ということば、
現代で使うには躊躇があるのですが…
大山祇神は天子の命が
石のように恒久である

契約し貢いでいたようですが、
イワナガヒメノミコトのことを期に、
瓊々杵尊の子孫である皇統をはじめ、
人間は長寿でなくなったとか。


古くは北山の神として、
衣笠村に降臨された天神地祇
831年に氷室が設けられ、
菅生石部神の分霊を勧請…
菅生石部神の母神である
木花開耶姫命と定めたそうです。
敷地神社というのは、
菅生石部神の別名なのだそうです。

1397年に足利義満西園寺北山殿
山荘として造営する際に、
現在地に移転してきたのです。
その山荘とは金閣寺のこと…

「生ひ繁れ平野の原のあや杉よ、
 濃き紫に立ちかさぬべく」

『拾遺和歌集』に撰禄されている
清原元輔が友人の子供の昇進を
祈った詠んだ歌とされています。
「赤子よ、綾杉の枝葉が大きく
 繁るように立派に成長しなさい。
 濃い紫の袍を着られる、
 三位の位を得られるように」

応仁の乱の兵火を免れたものの、
1896年に台風で倒壊…
ただ崇敬篤く「綾杉明神」に。

神具庫に母子像
戌の日の境内は多くの人で
賑わいをみせるそうです。
戌の日の安産祈願のワケ、
犬はお産が軽いということに
あやかっているからなのです。


「わら天神宮」
京都市北区衣笠天神森町

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