猿田彦のミチを開くvol.24 佐比江の猿田彦神社


阪神新開地駅からJRのガードを越え、
海に向かってほどなく歩くと、
社地はわずかではありますが、
村社 猿田彦神社が座します。

兵庫区佐比江町
面影は残されていませんが、
大きな入江があったそうです。
そして江戸の寛政頃には、
花街として大いに栄えていた地。
1895年の明治中期になって、
埋め立てられ市街地化されました。

『摂津名所図会』兵庫 佐比江には、
遊女が通りを歩く男に声を掛けたり、
格子の中で三味を弾く姿、
賑わいが描かれています。

社殿の裏手に神戸市岡方協議会
「佐比江の入り江」の説明板が
掲げられています。
によると…
「今から二百年程前、
 佐比江の遊郭が栄えていた頃、
 そこの遊女が当時白川にあった
 山伏山神社(祭神 猿田彦命)
 深く信仰し、
 毎月二十四日に大勢連れ立って、
 白川まで参詣して賑わった。
 何分遠路なので一日がかりとなって
 差し支えるので、
 遂に猿田彦命の分霊を佐比江に
 勧請したと言われる猿田彦神社が
 当時の面影を残している。」

こんな俗謡が伝わる
「兵庫髷 紅おしろいの 花の顔
 佐比江とといへど 日々に新し」
佐比江 遊女の "兵庫髷" も、
しだいに一般女性も結うように
なったそうですが、やがて下火に。
ただ髷を横に倒して結った
横兵庫」という進化を遂げます。

《浮世絵 時代かがみ》楊洲周延
 延宝の頃(1673-1681)


京の島原で結われた横兵庫は、
粋で華やかな遊女の髪型として、
最も豪華な日本髪となったとか。

小さな祠がひとつ…
佐比江稲荷神社
周辺にも稲荷社はあるので、
佐比江の花街のお稲荷さんかと。

石碑には弁天社ともあるが…
遊女が信仰していたから、
かつては鎮座されていたのか、
山伏山神社から遷座されたのは、
猿田彦命だけはなくて、
天鈿女命も合わせて祀られた
時を経て弁天さんと遷化された?、
そんな想像が廻ります。
本殿に相殿されているのやも

鳥居近くには「方位住居 守護神」、
案内板にある岡方とは、
兵庫津に面しない町名のこと。
この近くには西国街道があり、
水陸ともに要衝であったこの地、
八衢(やちまた)の神として
衆庶の尊崇が厚かったのでしょう。

『摂津名所図会』湊川の図

さびえ遊女町とあり、
猿田彦社は見当たらないが、
すでに江戸中期には賑わいを
みせていたことは確かである。

由緒によると…
第二次世界大戦で戦災を受け、
その後の都市計画によって
狭隘な社地となったとのこと。

1950年に再造営されたとか…
拝殿天井絵はその時描かれたもの。

竹内栖鳳に師事した画家 森月城
神戸百景』を描いた
版画家 川西英らが描いたもの。
本殿御扉の羽目板は、
武庫川女子大学教授でもあった
新谷秀夫の彫刻があるとか…

佐比江の遊女達が月参り先の、
山伏山神社の総代 鷲尾家には、
遊女奉納の御籤筒が伝わります。
社地に残る古い手水鉢には、
延宝8(1680)年とあり、
この地に遷座されたのは、
江戸初期かと思われます。

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