大阪のはしばし vol.7 和気橋


和気橋」には六文銭の
幟が掲げられていました。

大坂冬の陣では家康の本陣、
そして夏の陣では幸村が布陣の
激戦地となった茶臼山へ渡る橋。

奈良時代に和気清麻呂
河内川を南に引こうとしたとする
河底池」とともに史蹟の碑石。

旧大和川の流れを変えるために
上町台地を開削したのは、
788年(延暦7年)のこと

橋が架かったのは
1936年のことですから、
戦前の時勢からすると、
皇統護持で活躍
和気清麻呂の名を
付けたのは時勢を表すもの。
赤備えの真田の橋のように…
すっかりと塗り直されています。
2008年4月ごろは、
朱もずいぶんと薄かったです。

擬宝珠があるから、
位置づけとしては公儀橋
ということになりますので、
幸村橋とか茶臼山橋とは
名付けなかったことは、
合点がいきます。

茶臼山が古墳か否かについては、
1986年調査で
埴輪・葺石確認せず、
「古墳ではない」とする
説もでたのですが、
2009年に水銀朱が塗られた
石室らしきものが発掘…
ふたたび「学術的に古墳」と
位置づけられているのです
「河底池」
ちゃぶいけ”という方が、
地元の人には通りがヨイのかも…
東西の陣が交互に張られた、
小高い山は四方八方から、
踏み入られていていました。


真田幸村の名言なる立て札も…
六文銭のみ…
まさに真田丸ブーム一色。
大阪市の古い写真だと…
どちらかというと、
橋の色はクリーム色?(TOT)
しばらくは赤備えで…

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