赤備えの陣へ 志紀長吉神社 


大河ドラマ「真田丸」

終わりましたね…
大坂夏の陣の

道明寺・誉田の戦い」の後、
戦勝祈願としたとされる
志紀長吉神社」へ。
谷町線 長原駅からほど近く、
改札前に幸村マーク入りの
マップがあったのですが、
まっすぐ行くと。

参道がすぐ見つかったので、
北へ…

東軍の伊達政宗隊と一戦後、
大坂城に撤退する
道すがら立ち寄り、
戦勝を祈願として、
軍刀六文銭旗を奉納した社。
当時は「日蔭明神」という社、
『中河内郡誌』によれば、
「伊達政宗との大坂夏の陣の時
 大坂城より退却命令が下され
 天王寺・茶臼山に
 退くことになったが、
 この途中 幸村・戦勝を
 日蔭明神に祈願せし時、
 神社の馬場にて休息せりと伝う。
 この時麻地六文銭章の旗
 および刀剣を当社へ寄進せり」と…
刀剣はGHQ接収後行方知らず…
ただ軍旗は当社にあって、
正月には一般公開されるとか。


ただ…奮闘するのですが、
徳川軍の圧倒的な
数におされてしまって、
最期は安居神社にて討ち死。
と…伝わっています。
室町時代から戦国時代には
永原大宮」と呼ばれて、
四天王寺や住吉大社などに
列せられる地域支配の核
となる社寺だったとも。
江戸時代には
神仏習合の阿弥陀寺とも
号していたそうです。

神紋「日蔭の蔓
ひかげのかずら”と読みます。
第51代平城天皇(809年)に発する、
日蔭大明神の受位に因む。
日蔭蔓とは、日蔭に生えた蔓を
用いて作った冠飾りのこと。


社殿は、
戦後再興のコンクリート造。

境内には神宮遥拝所もありました。

徳川方が苦戦したのは、
この周辺には砦の役目を
果たした古墳があったからとも…
近くにも「長原高廻り古墳群」。
大阪市営地下鉄工事により発掘、
長原45号墳では武人形埴輪の
発見もあったそうです。

民家の間にたつ
真田幸村休憩所跡」。
ホント…
見つけるの、
苦労しました(TOT)





永楽通宝ならぬ
五円硬貨で六文銭。

長原歴史保存委員会さんが、
建てられてもの。

「御神徳を讃え奉りて 幸村
 家が思ふ心のうちの霧晴れて
 神の利益に任せこそすれ」
「赤備えの陣へ」
続くかどうかは???

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