だんだん松山⑦ いざ松山城へ!!


春や昔 十五万石の 城下かな」...
俳句の中興の祖となった正岡子規が、
故郷にもどったときに読んだ句。
JR松山駅前にその句碑がありました。

松山城へは徒歩4ルートのほかに、
ロープウェイとリフトで登ることができます。

ロープウェイは今年の3月23日に
リニューアルされていました。
ちなみにロープウェイだと3分、
山頂駅の『長者ヶ平
(ちょうじゃがなる)』へ、
併走するリフトだと6分でラクラクと(・ω・)v

山麓駅『東雲口
(しののめぐち)』の駅舎は、
「坂の上の雲」ブームのときに

リニューアルされたとか。

坊ちゃんズ」たちの顔出しがズラリと...

マドンナ姿のスタッフが案内してくれる
往復ともにロープウェイに乗りました。

案内の最後に「だんだん」って…

一緒に乗り込んでいた
松山観光ボランティアガイド」に
その意味を尋ねると...オアズケをくらった。

先を急いではいたのだが折角なので、
石組みなんかの説明を受けつつ、
天守に向かう...

日本に残る「現存十二天守」のうち、
唯一築城主としての

葵の御紋が瓦に残っているとか。
太鼓櫓」の間際に
天守直通の門があったとか…
まさに知識の玉手箱...
石組みのしくみとか...なかなか先に進めない。

本丸の大手入口の最初に設けられた
高麗門は昔から門扉がないので
戸無門」と呼ばれていて、
扉を取り付けた跡がないことなど
十分な説明を受けました。

次にあるのが「筒井門」と「隠門」で、
左手が埋門
(うずみもん)形式の櫓門になっていて、
敵の背後を急襲する構えとなっています。
まっすぐ上がってくると「隠門」は見えません。
(肝心の写真がないのは熱血説明だったから…)

本丸にたどりつくと
こんな高いところに井戸が...
実は松山城は南北2つの峰を埋め立てたとか、
谷底にあった泉を井戸として残したのだと…
図説で熱っぽく語ってくれはりました。

深さが44メートルあるので、
当時の技術では掘れない深さなのに、
ここに井戸があるのはこんな秘密があるそうです。

面倒見のいいガイドさんは
オノボリ観光客にも声をかけはる...
ようやく天守がみえたところで
かなり時間が過ぎていました(〜ω〜)v

次回はいよいよ天守閣へ...と続きますm(_ _)m。

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