甲子園を囲む野球史跡たち

リニューアル工事が全面終了となった
甲子園球場にはスタジアムを感じさせる
史跡たちが続々と復活しています。




















その一つが「野球塔」
初代野球塔は1934年の
夏の第20回記念大会に、
現在の甲子園警察署の辺りに
建てられていたそうです。
高さが33mで古代ギリシャの
コロッセ オを想わせる造りで、
8段の観覧席が設けられて、
大会前日にはここで選手たちの
交流が行われたそうです。



















1945年5月10日の空襲でがれきと化し、
戦後の国道43号建設によって
姿を消したのだそうです。










野球塔の模型




20本の柱廊にはめ込まれていた
歴代優勝校などを刻んだ銅版プレートは、
いくつか戦時中に軍へ供出されていたようですが、
4枚の現存がこれまでに確認されてるそうです。
そのうち1枚は
第2回の1916年の慶応普通のは、
野球体育博物館に展示されているそうです。

野球体育博物館のホームページの記事によると、
「鳴尾浜飛行場の離発着の邪魔になると
 塔は取り壊され・・・」
とあります。
戦時色が強まるなか
野球は「敵性スポーツ」ということもあって、
1941年には大会そのものが中断しました。


ところで、
甲子園歴史館には、阪神タイガースゆかりの
銅板プレートがあるそうです。

初代ミスタータイガースの藤村 富美男 さんの足跡。
相手は川上 哲治 さんを擁した熊本工業
藤村 富美男 さんの呉港中の優勝投手となったのが、
第20回記念大会の決勝戦のプレート です。

















大和ミュージアムにあった
「呉港中学校 全国中学校野球大会優勝」の展示。

 「1934年夏には全国中学校野球大会に優勝。
  ミスター・タイガースと呼ばれた藤村富美男は
  この時、選手として活躍し、
  決勝戦では後の巨人軍監督・川上哲治を
  3連続三振に打ち取りました。」とあった。


















球場前にあったベーブ・ルースの記念碑は、
「ミズノ・スクエア」と呼ばれるエリアにありました。
虎次郎が行った4月11日は、
ティーバッティング、
スピードガン&ストライクゲームの
体験などが行われていました。
ちなみに当日チケットを持つ中学生以下限定です。





























虎次郎の甥っ子も「ストライクゲーム」に挑戦、
彼曰く「球が浮いた」といっていましたが、
2ファーボール+ワンボールで投手交代(笑)
球速の74kmの記録はかなり嬉しかったようです。

いつかリベンジしたいとか。































米国ではヤンキースタジアムの
「モニュメント・パーク」をはじめ
各スタジアムには、その球場やチームが
永らく受け継がれてきた意志を
感じさせる場所が多くありますね。
ようやく日本にもそんな文化が
育ちつつあるのかも知れません。



最後にもうひとつ大事な野球史跡。
「虎次郎」のレンガメッセージ。
ライトの22号門前のA5−041ってとこに。
ちょっと格好良く撮ってきました!!

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