浦賀の湊てくてくvol.1 東叶神社


横須賀から足をのばして浦賀へ…
ずいぶんと時が過ぎていますので、
薄らぐ記憶を頼りに…

京浜急行の浦賀駅は実は本線の終点、
堀之口駅から快特が向かう
久里浜線の方が本数が多いのです。

駅前から京急バスで3停留所「新町」、
1.3キロくらい歩くと直進の↑。

裏山に明神山、
『新編相模風土記稿』に
「拝殿は山下にあり、祭神は応神天皇で、
 正保元年(1644)9月19日に
 西浦賀の本社を勧請。
 牛頭天王、船玉明神を合祀」

石段を上がると神社としては
珍しい蘇鉄が青々と葉を広げています。
源頼朝が縁深い伊豆に由来するもの。
奉納されたと伝えられているもの。
東叶神社を創建した文覚は、
流人時代の頼朝と親しく、
平家討伐を促したのは文覚とも。

神社の縁起によると養和元年(1186)、
源氏再興の願いが叶えられたので、
叶明神と改めたとされています。

元禄5年(1692)に浦賀村が
東と西に別れたとき、
西浦賀の叶神社を遷し、
西を本宮、東の叶神社を若宮
と呼んだともいわれています。

石の鳥居は浦賀湾に面しています。

鳥居のそばに日西墨比貿易港之碑
西墨とはスペイン領メキシコのこと、
慶長5年に上陸した三浦按針こと、
ウイリアム・アダムスを顧問とし、
元和2年(1616)に貿易港が
長崎・平戸に限定されるまで、
浦賀は長崎と並ぶ東国唯一の
国際貿易港がったことを伝えています。

社務所前を通り過ぎると、
弁財天が祀られています。

厳島媛命がご祭神で、
海難などの身代わり弁天です。

その傍らには耀真山永勝不動尊の幟、
東叶神社は明治の神仏習合までは、
耀真山永神寺といい、
古義真言宗 醍醐寺派三宝院に属し、
本山格をもつ修験道の寺院でした。

歴代の宮司は真言宗大僧都
真言修験の大先達を兼ねていました。

勝海舟断食修行の折仕様の井戸から
汲み上げられた水とか…
遣米使節随行の咸臨丸艦長格の
勝海舟が航海前に、水垢離の後、
山上で断食したと伝わります。
ただ…
多忙な時間的余裕があったのか、
船玉明神への祈りに切実な思いが
あったことは間違いないのでしょう。

本殿前の阿形は子が乳を含み

吽形は親が子を抱える姿
拝殿の左側に山頂に続く石段。
もう少し上れば芭蕉の句碑
あったそうです。

恵仁志坂とあり西叶神社の勾玉
東叶神社のお守り袋に納めて
お参りすると…恋愛に限らず、
諸々の良縁を結ばれるとか。
先に西叶神社にいくべきだったのか…

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