日本人の嗜好をさぐる③ 豆腐
《婦人手業拾二工 祇園豆腐》
喜多川歌麿
江戸期に根付いた"豆腐"、
いわゆるハレの日の食材で、
家康や秀忠は、
うどん・そぼ・豆腐の製造は、
禁じられ農民は食べることも
許されない禁令がありました。
《職人尽絵詞》より豆腐屋
豆腐が記録として登場するのは、
平安時代の終わり頃で、
奈良・春日若宮の神主の
日記に「唐府」とみえます。
中国からか朝鮮かルートは、
二つあったかも知れませんが、
禅僧たちの精進料理の中で
さまざまに工夫がありました。
《とうふ屋三郎兵衛》
歌川国貞
京都の南禅寺には、
多くの湯豆腐屋がならびます。
湯豆腐のルーツは文書で
辿ることはできないのですが、
とりわけ肉食が禁じられた
僧侶たちにとっては、
大切なたんぱく源でした。
当時は焼き豆腐を煮たもの、
おでんのようなものでした。
沖縄豆腐の「島豆腐」、
熱々が好まれることから
「アチコーコー豆腐」とも。
実は本土復帰にあたって
「豆腐の冷蔵販売」が
義務づけられたとか…
地元の食文化を守ろうとの
団体の国への陳情の結果、
沖縄県内販売に限り、
特例として温かい豆腐の
販売が認められたそうです。
「豆腐には旅をさせるな!」
と云う格言…『美味しんぼ』でも
山岡士郎もそう叫んでいました。
豆腐は出来たてが美味しいという意。
江戸期には納豆と豆腐は、
朝から振売りが毎日に届けていました。
《百種怪談妖物双六》