ヒロシマ爆心地から330m〜平和記念資料館

2015年以来ひさしぶりに
8月6日に行ってきた…

平和式典を終えてからの
時間に到着したので、
平静を取り戻しつつある
ドーム周辺だった。
そういえば来年のこの日は
新しい年号になるのだなと。

原爆ドームもいずれは
朽ちていくだろうし、
記憶も薄れていく…


ただ避けるべき惨事であったこと、
ツナゲル努力を尽くしていきたい。
広島平和記念公園には、
多くの慰霊塔が点在している。
その一つ「動員学徒慰霊塔」。
平和の女神像と
8羽のハトを配した高さ12mの
有田焼の陶板仕上げ…
1967年7月15日の建立。
円鍔勝三さんのレリーフ。
食糧増産作業
女子生徒の縫製作業
工場における作業状況
そして「広島の灯ろう流し

碑文にはこうある
「第二次世界大戦中増産協力等
 いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は、
 全国にわたり三百数十万人。
 あたら青春の光輝と、
 学究の本分を犠牲にしつつ挺身した者のうち、
 戦禍にたおれたものは一万有余人。
 その六千余人は原爆死を遂げた。
 この塔は明眸青雲を望み、
 将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく、
 祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと
 有志同胞の手によってうち建てた。」

元安橋

旧燃料会館

原爆忌はるか」新延輝雄 作


[燃料会館]
設置場所 : 中区中島町1
爆心地から約170メートル
1929年大正屋呉服店として完成。
戦争が激しくなり、経済統制も進められ、
1944年6月、県燃料配給統制組合に買収。
さく裂した原子爆弾により、
屋根は大破、内部も破壊炎上し、
地下室にいて奇跡的に生き残った1人を
のぞいて全員が犠牲となりました。

元安橋
設置場所 : 中区大手町一丁目地先
爆心地から約130メートル

原子爆弾の爆風により点灯装置の
笠石が左右反対方向にずれ、
欄干も元安川に転落しましたが、
橋自体は崩壊を免れました。
現在の橋は1926年の竣工当時の姿を
再現したデザインで架け替えたものです。

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