村野藤吾のファサード⑨ 南大阪教会
大阪市阿倍野区阪南町にある
「南大阪教会」には、
村野藤吾の処女作と最晩年の
作品が共存しています。
教会塔である塔屋は1928年(昭和3年)、
大阪基督教会創立50周年の
記念事業として建築されたもの。
設計・監督は、渡辺節建築事務所。
村野藤吾が在籍していた事務所で、
これが彼のはじめての作品。
【「南大阪幼稚園 卒園記念」昭和初期】
会堂と教会塔ともに
戦火をくぐり抜けたが、
時間の経過とともに傷みが激しくなり、
会堂は取り壊されることに…。
【透視図スケッチ 1927年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館 蔵】
村野さんは「私の長男」と呼んで
強い愛着を示していたそうです。
【「南大阪幼稚園 卒園記念」昭和初期】
「○◻+」の組み合わせの窓枠。
【模型 日本キリスト教団南大阪教会蔵】
1階扉上部のペディメント。
戦後、礼拝堂の老朽化と収容力の
点から改築されました。
1981年建築のに新礼拝堂(会堂)、
当時90歳の村野の手によるもの、
彼の宗教建築最後の作品です。
「礼拝堂内部」
楕円形を基本とした
凹凸に富んだ壁面に、
自然光と吊式照明が
組み合わされた村野の仕掛け。
敷地いっぱいに建てる際、
村野は形を丸くすることで
周囲に空間を残し、
近隣に対して圧迫感を
与えないようにとの
配慮がなされています。
【1階平面詳細図, 1981年,
京都工芸繊維大学美術工芸資料館 蔵】
【礼拝堂スケッチ, 1981年,
村野家/MURANO design 蔵】
「村野用箋」に描かれたもの、
左上から時計回りに、
天井伏図、断面図、立面図、
細部意匠が描かれいます。
同じ敷地にな童謡「サッちゃん」の
詩碑が建てられています。
作者 阪田 寛夫(さかた ひろお)さんは、
教会運営の南大阪幼稚園の二期生で、
父のは教会の設立者の一人で、
インク製造業・阪田商会を
経営する実業家だったそうです。
新礼拝堂のお祝いに駆けつけた
村野藤吾さん(左)と阪田寛夫さん。
建てる会の碑文にはこうあります。
「阪田寛夫は詩人として、
幼年の角度から人間を観る
ナイーヴな視点を終生持続し、
日本の詩の世界に独自の地位を
占める存在でした。」と。
「椰子の実」作曲者、
東京霊南坂教会のオルガニスト、
大中寅二は阪田の叔父さん。
幼少期には阪田は大中の作った
童謡を口ずさみながら育ったそうです。
「サッちゃん」のモデルは…
詩碑によると、
南大阪幼稚園での1年上に
「さちこ」さんがいたとか…
諸説ありますが、3番にある
「サッちゃんがね
遠くへいっちゃうって
ほんとかな」には、
交通事故で早くに他界した
娘に思いを寄せたとも、
いずれにしても、
誰もが口ずさめる詩として、
いまなお愛されています。
「南大阪教会」
竣工年:塔屋 1928年(昭和3年)
会堂 1981年(昭和56)
設計 :村野藤吾/渡辺節建築事務所
構造 :RC造一部S造 地上1階建一部2階建
所在地:大阪市阿倍野区阪南町1-30-5
※このブログは特別展図録を参考にしました。
『特別展 村野藤吾 やわらかな建築とインテリア』
大阪歴史博物館, 2014年