西宮をあるく③ 夷狄を打ち払え〜西宮砲台

江戸時代のおわり、
国防に不安を感じた
江戸幕府が築いた砲台「西宮砲台」。

阪神電車「香櫨園」駅から夙川沿いに…
マンションと防波堤とで直前まで
その姿を隠しているので、
いきなり感半端ありません(TдT)
コンクリート製ではありません
漆喰」にて候。
御前浜公園はビーチクリーニングなどの
取り組みもあって…ずいぶんキレイでした。
夏にはハマナスも咲くんだってよ(・ω・)v
幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの
軍艦の来航に慄いた幕府が
摂海防備のために設けた砲台。
「摂海」とは大阪湾のことですが、
ただ大阪湾内に“夷狄”は来航せずでした。
着工は文久三年(1863)のことですが、
その後倒幕したので
完成は定かではありません。
西宮のほかにすぐ東側には今津、
そして和田岬とそれに隣接するように
川崎にも砲台を築造されたようですが、
いずれも和田岬砲台
稜堡式”だったのに対し、
他の3砲台は円形をとったようです。
砂浜なので松杭が
1000本以上も打ち込まれた基礎、
その上に花崗岩の大岩が
組み上げられいます。
砲眼11個と窓1個があって、
大砲で四方を狙うことが
できる構造なのですが、
空砲試射に失敗して
内部木造部分は焼失
通常の2倍の賃金を支払って熟練工を集め、
突貫工事で完成を急いだのですが…
砂地に立てる難工事は
4年を費やしたそうです。
1974年から行われた修復工事により、
現在は内部は鉄骨で補強されています。
「西宮砲台跡」
所在地:兵庫県西宮市西波止町5374
【国 重要史跡】

稜堡式(りょうほしき)とは?
大砲を主要防御武器として設計した城の形状。
多数の大砲が死角を補い合うように造られる。
一六~一八世紀にヨーロッパで行われ、
日本では幕末に五稜郭などに取り入れられた。

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