「うえの夏めぐり」上野の森の英雄たち

八重洲のホテルを早々に立ち、
東京駅で荷物を預けて、
上野の森に再び現れたパンダに会うため、
東京メトロ「京橋駅」に向かう。

上野駅に着くと
「うえのパンダ」の看板、
「上野百貨店(西郷会館)」があったところ。
現在工事中で囲まれていました。

















袴腰広場をあがると
東京を見守る
「西郷隆盛」さん。






















江戸の無血開城、明治維新の廃藩置県、
富国強兵、四民平等などの功績を残した彼は、
最後は西南の役という鹿児島士族が起こした
我が国最大の内乱である「西南の役」
率いたさなか1877年に自刃します。

朝敵となった西郷ではありましたが、
その後1889年の
大日本帝国憲法発布による大赦で
正三位を追贈され改めて明治政府からの
評価を得ることになります。

偉大な功績を讃えて上野の地に銅像が
建てられたのは1898年のこと。
除幕式には時の総理大臣の山県有朋、
勝海舟や東郷元帥など800名が
参加して盛大に行われたそうです。


















名誉回復の機となった西郷像ですが、
犬を連れている和装の姿は、
当時の政治情勢をあらわしたもので、

明治維新の元勲姿とはなりませんでした





















ウサギ狩りをしている姿だと伝わりますが、
「浴衣姿のようだ」と未亡人が嘆いたとも。

勲章のついた洋装とならかったことが、
それがかえって庶民に親しまれる存在に
    なったのかも知れませんね。


ところで・・・
西郷さんは 高村光雲さん の作ですが、
ツンは 後藤貞行さん の手によるものです。
多くの銅像の馬などの動物は彼の作品だとか。

















それと上野にあるという理由・・・・
皇居から見て北東に位置するのが上野、
北東の方角は古来から鬼門と言われる。
鬼門封じに西郷隆盛を立たせたのだと???
真意の程はわかりませんが・・・























こちらは「小松宮彰仁親王」
明治維新の功労者で、
会津征討の総督に任じられた人。





















う~~ん
「西郷さん」が騎乗の像だったとしたら、
    印象はかなり違ったでしょうね。


















公園の真ん中にある
 「竹の台噴水」周辺は改装中、
同じく改装中の「東京都美術館」前の
茂みのなかに上野公園の生みの親である
オランダの一等軍医

「ボードワン博士」
の胸像があります。

















今でこそ
都市公園=パブリックスペース
    というのが定着していますが、
明治初年のイケイケドンドンの時期に、
都市に緑地帯を残すことこそ

将来の国際都市にふさわしいと教えた人。

この人がいなければおそらく
上野の森は、存在し得なかったと伝わります。

実はこの
「ボードワン博士」像は実は二代目!?
上野公園百周年を記念して
1973年に建てられて以来、
33年間ご本人でなく
立派な髭の弟さんのお姿やったようです。
















在りし日のボードワン博士の弟像
2006年10月に
新しく造り直されたのだそうです。


こちらは銅像ではないのですが、

野球好きには抑えておきたい句碑
「春風や まりを投げたき 草の原」






















ベースボールを “野球” と言った
正岡子規の句碑です。
後ろにあるのが 正岡子規記念球場 です。
子規の随筆「筆まかせ」というのに、
上野公園博物館横空き地で
       試合を行ったとか、
1890年3月21日の
午後のことだったといいます。







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