TARO100 《野沢の乙女》

大阪市内の道路のそこかしこ、
雪を抱いたまま朝を迎えそうだ。
5センチそこそこの積雪で
右往左往する大都市のニュース。
雪道の運転には
くれぐれも気をつけたいもの。

かく言う虎次郎も一昔前まで、
スキー場へマイカーをたびたび走らせた。
大豪雪で38時間もかかって信州から
戻ってきたこともあれば、
スリップ事故でJAFに
お世話になったこともある・・・


たびたび通ったスキー場
「野沢温泉」
にも、
岡本太郎さんの
モニュメントがあるらしい。

街にあふれる「湯」という字、
TAROっぽいなあ〜としか、
当時は思っていなかったのだが。














1991年に野沢温泉村
初めての名誉村民になってはるし、
太郎さんはとっても
野沢温泉とゆかりが深かったようだ。















野沢温泉村役場前の
村民憩いの広場にあるのが、
《野沢の乙女》






















岡本太郎さんと
日本のスキーが
誕生したのは
同じ1911年で、
今年が同いの「100歳」

現在の新潟県上越市で
オーストリアのレルヒ少佐
日本に初めてスキーを伝えたのが
1911年1月12日のこと。。





ホント・・・・
岡本太郎さんはスキーと関わりが深い。

当時流行の
白いスキー板と白いウェアに対抗して、
黒地にオレンジ色の

もみの木のようなデザインの
カラフルなスキー板を作ったことがある。
その名も
「カザマ・スペシャルコンビネーション」

41歳ではじめた太郎さんの滑りは、
まさに鋭角の滑り・・・・






『岡本太郎の
 挑戦するスキー』

   (講談社、絶版)





50歳の時はスキーで
“骨折” ってのも経験してはるのだが、
でもそこは太郎さんだから、
ギプスをはめられた足に着想を得て、
彫刻《あし》ってのを誕生させる。
サスガだ。。。。


野沢温泉の日影ゲレンデってとこにある
「シュナイダー記念碑」っての、
なんとなく覚えてる。。。
そこにもスキーの大好きな
太郎さんのシュプールが見られる。

虎次郎もシュプールを
描きたくなった(・ω・)v
来年あたりリバイバルするか?












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