猫の門

大阪の四天王寺ってお寺なのに
大きな鳥居を
くぐって境内に入ります。


これは神仏習合によるもので、
現存の石の鳥居は
永仁2年(1294年)

 のもので、それまでは木造でした。

『浪花百景 四天王寺』の浮世絵で
 桜の季節が描かれています。
 南粋亭 芳雪の筆によるもの。。 

現在あるも五重塔
1959年に建てられたもので
浮世絵には江戸時代のものが
 聳えているのが見えます。






こちらはしだれ梅と
 現在の五重塔です。


四天王寺はたびたび
災害を経験しました。

天正4年(1576年)
石山本願寺攻めの兵火で焼失
秀吉によって再建されるが。。。
慶長19年(1614年)
 大坂冬の陣で焼失
その後江戸幕府の援助で再建。







苦難は続き幕末の享和元年(1801年)の落雷
1934年の室戸台風五重塔と中門が倒壊、金堂も大被害。



五重塔は1939年に再建されるも、
第二次世界大戦の大阪大空襲で他の伽藍とともに焼失。。


中心伽藍の東に位置する
一画に「聖霊院」があります。
五重塔をはじめとした
中心伽藍は
 鉄筋コンクリート造ですが、
この一画は木造で作られています。
前殿と奥殿があり
別名「太子殿」とも言われています。




法隆寺の夢殿のように奥に見えるのが奥殿で、

夢殿の平面が八角形であるのに対し、
この建物の平面は 完全な円形です。


















この
「太子殿」にはさまざまな門がありますが、
そのひとつに「猫の門」があります。
こちらも大坂の役での焼失後に徳川家が再建したもの。

「猫の門」
の猫は日光東照宮「眠り猫」と一対だそうで、

  元日の朝、互いに鳴き合ったという

     不思議な話が伝わっています。



なぜ「猫の門」
  というかというと、、
聖霊院内にある
経堂に納められた経文を
から守っているからだとか。
眠っていて
 ダイジョウブなのか???



招き猫というのは招福縁起物として愛されていますが、
もともと鼠除け、、
それが農業や養蚕に必要な存在となり、
養蚕農家が
を買い求めることで、
五穀豊穣・商売繁盛のシンボルになっていったようです。

江戸時代に書かれた
『甲子夜話』という書物には、
が高値で売買されていたことが書かれており、
馬の五倍に当る五両で取り引きされていたとあります。



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