広重《名所江戸百景》(6)目黒新富士
歌川広重《名所江戸百景》 の紹介
かなり久しぶりですが、実は第6回目です。
振り返ると7月ぶりなんです。。
富士ネタなので・・・
「目黒新富士」
目黒新富士とは、
いわゆるミニ富士です。
富士をはじめ山を
神と仰ぐ山岳信仰は、
特に江戸町人文化の
最も発達した時代に
とても盛んになりました。
一団を仕立てて大挙して
富士に登山する
いわゆる “ 富士講 ”
がありました!!
安永9年(1780)に藤四郎という富士行者が
高さ10mもある富士山の雛型を築いたのが、
「高田富士」といわれる江戸富士塚の第1号!!
現在の早稲田大学9号館あたりにあったらしいですが、
今は富士塚の石碑だけが残っているとか??
昭和38〜9年に 早稲田 が当時の水稲荷神社の
土地を購入したときに取り崩されたとのこと。
文化9年(1812)に 目黒の熱烈な富士講の人たちが
築いたのがこの「目黒富士」
高さ12m程で、つづら折の登山道もあり、
山頂には浅間神社が祀られていた。
毎年の山開きの日に本富士に行けない人たちに
登らせて 富士遥拝の所としたとのこと。
新富士の跡形は自然石の碑が
国際電電公社研究所(現KDDI)にはあったようですが、
目黒区が立てた「新富士」の説明板だけだとか。
2007.11.17 撮影
富士山もっこり と
サクマドロップ
富士缶
かなり久しぶりですが、実は第6回目です。
振り返ると7月ぶりなんです。。
富士ネタなので・・・
「目黒新富士」
目黒新富士とは、
いわゆるミニ富士です。
富士をはじめ山を
神と仰ぐ山岳信仰は、
特に江戸町人文化の
最も発達した時代に
とても盛んになりました。
一団を仕立てて大挙して
富士に登山する
いわゆる “ 富士講 ”
がありました!!
安永9年(1780)に藤四郎という富士行者が
高さ10mもある富士山の雛型を築いたのが、
「高田富士」といわれる江戸富士塚の第1号!!
現在の早稲田大学9号館あたりにあったらしいですが、
今は富士塚の石碑だけが残っているとか??
昭和38〜9年に 早稲田 が当時の水稲荷神社の
土地を購入したときに取り崩されたとのこと。
文化9年(1812)に 目黒の熱烈な富士講の人たちが
築いたのがこの「目黒富士」
高さ12m程で、つづら折の登山道もあり、
山頂には浅間神社が祀られていた。
毎年の山開きの日に本富士に行けない人たちに
登らせて 富士遥拝の所としたとのこと。
新富士の跡形は自然石の碑が
国際電電公社研究所(現KDDI)にはあったようですが、
目黒区が立てた「新富士」の説明板だけだとか。
2007.11.17 撮影
富士山もっこり と
サクマドロップ
富士缶