京もみぢ2022 三千院 往生極楽院

三千院の歴史の源 " 往生極楽院 "、 平安時代に『 往生要集 』の著者、 天台浄土教大成者である 恵心僧都 源信 が父母の菩提のため、 姉の 安養尼 とともに建立したと… ただ簡素な御堂なのです。 (絵葉書より) 金色に輝く 阿弥陀三尊像 は、 " 来迎の弥陀 "と呼ばれていて、 日本美術史上で重要な存在。 迫ってくるように安置され、 阿弥陀さまの頭は、 天井にぎりぎりつかえそう… 小さなお堂に大きな 阿弥陀さまを入れるために、 天井は船底を逆さにした形に 後から修復されたもの 。 観世音菩薩 は往生者を 蓮台 に乗せる姿をされており、 左側の 勢至菩薩 は合掌。 菩薩共に少し前かがみに跪く " 大和坐り "… 仏の前で祈る人々に意識を 向けている姿勢だと、 伝えられています。 作家 井上靖 氏が「 東洋の宝石箱 」と 称した御堂の前も紅葉がみごと。 紅葉に目を奪われがちなこの時期、 堂内に立ち入る人は多くなく… 浄土信仰は平安時代中期から 世間に広まったものですが、 1616年(元和2)に大修理、 建物の外回りである外観は、 江戸時代の建築様式 なのです。 正面三間、奥行四間、 単層入母屋造、杮葺きで、 妻側を正面としています。 実は" 三千院 "という寺名は、 明治時代になってから 付けられたものです。 " 三不如意 "というコトバ、 鴨川の水、賽の目、山法師 、 白河上皇 も思いどおりに ならないもの3つ。 明治初頭の 廃仏毀釈 … 円融坊=梶井門跡 も 京都市内の領地没収となり、 " 梶井門跡 "が使えなく なってしまったのです。 悩んだ末に付けられたのが… 梶井門跡の持仏堂に掲げられていた "三千院"と彫られた霊元天皇 の筆、 勅額にもとります。 天台宗の教え"一念三千" に 由来する言葉なのです。 極楽院を本堂だった頃の正門、 " 朱雀門 "は 藤原様式 ながらも、 江戸時代に再建されたもの。 撮影 2022.11.19