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メリクリ・ラバー・ダック

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水都大阪を包み込んだ 光のルネサンス・・・ 最終日にやっと ナイトメア・アヒル ?に 雪の舞うクリスマス・・・ イヴの方が盛り上がっていると思っていたら、 日の入りから続々と アヒル詣での人の波 。 中之島バンクス のシンボルツリーの 「メタセコイア」 には、 蛍光灯のリングにプレミアモノに なっているレプリカダックが サンタ仕立てでお出迎え。。 レプリカ・ラバーダックは、 去年以上に倍増でスタンバイされたようですが、 ツイッターなんかでもヒートアップしてて、 ヤフオクなんかでも高値で取引されていたようです。 リーガロイヤルホテルの ビックイルミも彩りを添えていて、 夜に見に来てホントヨカッタっす。 来年はどこに 浮かぶのでしょうか・・・ 楽しみにしておきます。

大大阪をあるく23 武田薬品工業 道修町ビル

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「武田薬品工業 道修町ビル」 薬問屋や 製薬会社のならぶ 道修町 (どしょうまち)の中にある。 道修町の 名のルーツは諸説あり、 このあたりは古くから 「道修谷」 と 呼ばれていたという説が一番有力です。 道修寺という寺があったからという説。 北山道修 という医師がいて、 門前に薬屋が集まり、 道修町になったという説。 それともう一つ、この辺には私塾が多く、 懐徳堂 (かいとくどう)も近くに 位置していたため「修学修道の地」で あるからという説などなど。 武田家の初代・ 武田長兵衛 が、 道修 町2丁目で薬種仲買仲間として 独立したのは天明元年。 2代目が店舗 を移転し、 事業を拡大したのがこの地であったという。 設計は 片岡建築事務所 の 松室重光 、 所長の 片岡安 とは大学の同期であったようで、 同所の所長代理的な立場にあったという。 松室は武田薬品とは関わりが深く、 武田長兵衛 の自邸の設計も手掛けている。 この当時の流行であった 「スクラッチスタイル」 ではなく、 煉瓦色タイルの面のモダンデザインを 用いたことはあえて古典様式に精通した、 彼だからこそのなせる業と評価が高い。 1階や軒飾りなどに見られるモチーフが、 モダンビルの装いに添えている。 「武田薬品工業道修町ビル」 「武田長兵衛商店本店」 建築年:1928年(昭和3) 鉄筋コンクリート造3階建  地下1階(後年に5階に増築) 設計:片岡建築事務所(松室重光)

大大阪をあるく22 明治屋ビル

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「明治屋ビル」 東京丸の内のオフィス街の基礎を築いた 曾根達蔵 が率いていた 「曽爾中條建築事務所」の 手がけたこのビルは、 当時 百貨店が建ち並んでいた堺筋に 高級食料品を扱う店として軒を連ねていた。 クリーム色のタイルが貼られた外観、 渋い玄関口が堺筋に向けて作られている。 頂部には 壺型の装飾 が見える。 屋上にみえる 塔屋 。。。 ちょっと不思議な存在だが?? 「明治屋ビル」 「明治屋南本町ビル」 建築年:1924年(大正13) 鉄筋コンクリート造7階建 地下1階 設計:曽爾中條建築事務所

大大阪をあるく21 堺筋倶楽部

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「堺筋倶楽部」 フランス国旗とイタリア国旗が引き立てる 2001年にレストランに   コンバージョンされた銀行建築。 純粋な歴史的様式建築の銀行建築の設計は、 帝政末期のベルリンで建築を学んだ 矢部又吉 氏。 そんな彼はドイツに留学の経験があり、 建物にはドイツ風の意匠が随所にみられる。 銀行建築は近年の経営統合による店舗閉鎖の 影響もあって失われることがあり、 この建物も例外ではなかった変遷がある。 「京都相互銀行」になり、 その後 「京都共栄銀行」になるが1998年に破綻。 「幸福銀行」に営業譲渡される、 「関西さわやか銀行」、 「関西銀行」と看板が架け替えられました。 最後は「関西アーバン銀行」に。 2000年の破綻で店舗閉鎖となったようだ。 銀行建築の定石である 左右対称のファザード(正面)、 華やかな中央の装飾は いかにも銀行の威厳を示していた。 「堺筋倶楽部・アンブロシア」 「川崎貯蓄銀行大阪支店」 建築年:1931年(昭和6) 鉄筋コンクリート造4階建 地下1階 設計:川崎貯蓄銀行建築課

大大阪をあるく20 船場ビルディング

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「船場ビルディング」 近代建築と気づかずに 通り過ぎてしまうくらいのさりげない外観。 頂部の三角形の突起がある以外は、 のっぺりとした印象が拭えない。 だが、エントランスをくぐると、 吹き抜けの中庭を囲むように廊下がめぐり、 外側に各部屋が配置されている。 どこぞやのリゾートホテルを思わせる。 ただ二度訪れたのだがメンテンス中で、 なんとも間が悪い・・・・ こないだは工事の人に 「また今度にしてね」って言われたし(涙) 船場はやっぱり土曜日は仕込みの日なのか。 クリスマス・オーナメントも望遠で。。。 また改めるか〜〜 「船場ビルディング」 建築年:1925年(大正14) 鉄筋コンクリート造4階建 地下1階 設計:村上徹一 【国登録有形文化財】

大大阪をあるく19  大阪農林会館

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「大阪農林会館」 もともとは 「旧 三菱商事 大阪支店」 で、 その後 農林水産省の役人OBが買い取って、 穀物の取引所として 使っていたときのネーミング。 1階部分が石張りで 上層階はタイルが貼られている。 モダニズム様式の大型ビルで、 今はスタイリッシュなお店が集まるのに、 「大阪農林会館」 のままって、 そのアンバランスさが面白い。 天井が高く風格のある扉から入ると、 広々としたホールがあり、 大きな窓から陽射しが降り注いでいた。 丁寧に作りこまれた木製の手摺りは、 レトロビルの風格を伝える逸品だ。 なんと 今なお 、重厚な金庫が 各階の廊下に 鎮座する。 装飾としての役割を果たす。 ユニークなのは外観にも見られる。 このビルが建てられた昭和初期には珍しく、 窓が壁からせり出していて、 外観に陰影が見られない。 一見フツーの雑居ビルのようなシルエットが、 よく見ると味わい深いのである。 おしゃれに 横文字のショップロゴ が入っても、 両手広げてかたくなに 「大阪農林会館」 を 楷書体でアピる所 なんかタダものではない。 「大阪農林会館」 「三菱商事大阪支店」 建築年:1930年(昭和5) 鉄筋コンクリート造5階建 地下1階 設計:三菱合資会社地所部

大大阪をあるく18 三木楽器 開成館

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「三木楽器 開成館」 三木楽器は西日本最大規模の総合楽器店、 もともとは1825(文政8)年に 「河内屋佐助」 として創業した貸本業。 1885年4月から四代目当主の 三木佐助氏から楽器販売を手がける。 「書籍 楽器  大阪開成館   三木佐助 」の左文字に刻まれる。 唱歌集の販売やオルガン、バイオリンと、 音楽の近代化に大いに寄与してきた企業。 四代目はあの『赤とんぼ』の 作曲家の 山田耕筰 と親交があって、 かつてあった3階のホールで、 作曲講座もしていたことがあるらしい。 三木露風 作詞の『待宵草』の楽譜は、 この三木楽器が出されたのだという。 昭和初期の 「三木オルガン」 も置いてあり、 空間そのものが昭和の匂いを感じさせる。 心斎橋筋に面する部分は、 アーケードの雑踏にまぎれて見落とす。 北側に回ると縦線が主張する ドイツにあるピアノ製作会社の建物の 外観がモデルなんだそうだが、 1989年に改修したときに、 改めて外壁は信楽の 特注タイルで貼り直されたらしい。 植物レリーフのテラコッタ装飾 心斎橋筋側の玄関上部の ステンドグラス が見事で、 天井のデザインも重厚さが 建設当時のまま残されていました。 こちらは事務所側の玄関部分。 「三木楽器開成館」 「大阪開成館三木佐助商店」 建築年:1925年(大正14) 鉄筋コンクリート造4階建 地下1階 設計:増田建築事務所(増田清) 【国登録有形文化財】

大大阪をあるく17 菅澤眼科クリニック

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「菅澤眼科クリニック」 土佐堀川沿いの道から ちょっと入ったところにある 昭和初期のモダニズムを 感じさせる目医者さん。 立地的には角地ではないのですが、 正面玄関にRを持ってきている。 やっぱり角地の方が洋館というのは、 見栄えがするのをよくご承知のようで。 菅澤眼科クリニックは 1894年開院の歴史ある眼科医院で、 堺で3年ほど開業したのち、 この地に移って来られたそうだ。 2階の病室は全室造りが異なっていて、 古くからの患者さんは お気に入りの部屋を指定して 入院していたという話があるようです。 柱頭には極端に デフォルメされた渦巻き 、 正面玄関脇と上部に 小さなステンドグラス があり、 外壁とともにドイツ製なのだとか。 建物に併設して カフェ が設けられていて、 「おめめ」がワルくなくても楽しめるとか? 「菅澤眼科クリニック」 建築年:1928年(昭和3)、     改修1947年(昭和22) 鉄筋コンクリート造3階建 設計:清水組

大大阪をあるく16 船町ビルと山根商店ビル

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「船町ビル」 もともとの街の名前 「土佐堀船町」 に由来する 土佐堀通沿いにあるコンパクトな洋館 「宮田産業」 という工業薬品卸業の 自社ビルとして建てられたモダンビル。 正面の壁が緩やかにカーブを描く、 縦方向にも4階をセットバックさせ、 縦横に変化を持たせている。 玄関を支える円柱の装飾柱には、 菱形の文様が見られる。 正面3階の二つのアーチ窓が アクセントとなっている。 「船町ビル」 建築年:1937年(昭和12) 鉄筋コンクリート造4階建 設計:不詳 土佐堀通の北の裏通りにあるのが、 「山根商店」 という近代建築。 持ち主は変わりながらも、 現役として使われている。 「山根商店」 建築年:昭和初期 鉄筋コンクリート造2階建 地下1階 設計:不詳

大大阪をあるく15 日本基督教団 大阪教会

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日本のプロテスタント教会の中で 最も古いとともに、 まさに正統さを誇るといわれる 「日本基督教団 大阪教会」 。 アメリカ人宣教師 ゴルドン により 1874年に 創設された 「梅元町公会」 をルーツに持つ。 近江兄弟社 の創業者で アメリカ人建築家の W.M.ヴォーリズ の設計は、 ひと際目を引くクラシックな 赤レンガ建築のなかでも ずっしりとした重厚感もたらす。 近江兄弟社 は 滋賀の近江八幡で活動をはじめた キリスト教事業を展開するミッションで、 建築設計は事業を支える経済的基盤であった。 あの メンターム の発売元として有名だが、 ヴォーリスは音楽にも造形が深く、 教会ではオルガン奏者として、 自ら作曲を手がけたこともあるという。 礼拝堂に入ることはなかったが、 日本では数少ないタイプの リードオルガン が今なお健在だそうだ。 1922年に建造されたこの教会は、 戦火はくぐり抜けだが、 1955年の阪神・淡路大震災では 半壊の憂き目に遭った。 8ヶ月の修復工事の末に復活している。 過剰な装飾を削ぎ落したロマネスク様式。 重厚な アーチ や美しい バラ窓 など、 観るものを圧倒させるものがあるが、 しばらく眺めていると、 いつしか ホッコリとさせられるものがある。 「大阪基督教会堂居隅之首石」 紀元千九百二十一年九月とある。 「日本基督教団 大阪教会」 建築年:1922年(大正11) 聖堂 鉄骨煉瓦造3階建、 尖塔 鉄骨鉄筋コンクリート造6階建 設計:ヴォーリズ建築事務所 【国登録有形文化財】