はるばる来たぜHAKODATE vol.8 函館の洋館~函館市旧イギリス領事館
ユニオン・ジャックがはためくのは、
"旧イギリス領事館"…
1907年(明治40)大火後の1913年に再建。
1934(昭和9)年までイギリス領事館
として実際に使用されていました。
レンガ造2階建、
外装は塗壁仕上げが施され、
装飾が少ないシンプルな意匠。
函館でのイギリス領事館の歴史は古く、
箱館開港直後の1859年(安政5)に、
現在の弥生町にあった称名寺内に
領事館を開設したのがルーツ。
この町で度々起きる大火で
領事館が焼きだされ、
施設は幾度が移転していた。
函館のイギリス人居住者は、
昭和初期に至るまでわずか20人程度…
しかし北の要衝として領事館は、
置き続けられていたのです。
大火でも煉瓦建築が
焼けてしまったこともあり、
火災に対して諦めムード…
その後も大型の木造建築が
続々と建てられていました。
ただイギリス領事館は、
大火を教訓してか煉瓦造。
軒天井が木製だったり
防火窓がなかったり、
完璧な耐火建築ではありませんが、
領事館関係者の想いは読み取れます。
“領事執務室”には領事が函館の町を
双眼鏡で見守るマネキンがありました。
市民に親しまれ、
函館に大きな足跡を残した
"リチャード・ユースデン 領事"、
体が小さかったため「豆コンシロ」の
愛称と呼ばれていたとか…
コンシロ(consule)は領事のこと。
帰国時の函館公園での送別会には、
大勢の市民が集ったそうです。
"家族居室"にはティーセットが並びます。
ユースデン夫人は函館公園の開園記念に、
イギリスからライラック2株と
西洋クルミの苗木を取り寄せ植樹、
これが北海道初のライラックなのです。
1878年(明治11)に遊郭で働く
女性の自活を促すため"女紅場"が
開設されたのですが、
夫人は自宅に責任者を呼び、
自ら洗濯方法を教えたそうです。
洗濯用品一式を用意して、
夫人自ら講師となった
"西洋洗濯伝習所"が開かれたとか。
女性も手に職を!という、
彼女の思いを見て取れます。