猿田彦のミチを開くvol.28 品川・寄木神社
久しぶりの"猿田彦のミチを開く"
ここは東京品川・寄木神社。
Googleマップで"猿田彦命"とか、
"猿田彦神社"ではヒットしないけれど、
Google検索でたどりついたサルタヒコ。
社伝によると、
日本武尊とその妃 弟橘媛の伝説、
日本武尊の東征の折、
相模国から上総国へ
船で渡ろうとしたが、
海神の怒りか海が大いに荒れ、
船が沈没しそうになったとか、
妻の弟橘姫が自ら海に身を投じ、
海神の怒りは鎮まったそうな。
社伝では、
日本武尊たちの船の一部が砕け、
この品川浦に流れ着いた…
漁民たちが納めて祀ったとか。
"寄木"神社との名に繋がります。
背は高く、鼻は長く、顔は赤く、
眼は鏡のようにきらめき、
口を半開きにした
猿田彦命の顔に玉眼を入れ、
鼻を異様に長く…
天狗とも見紛う精悍さ。
身にまとう衣服は
細かな模様を施すなど、
柔らかさも醸し出ています。
漆喰鏝絵(しっくい こてえ)
というもので、
壁面に漆喰を鏝に用いて
レリーフ状に作り、
絵の具で彩色したもの。
幕末から明治時代にかけて
活躍した名工・左官職人
入江長八(いりえちょうはち)の作。
伊豆半島南部の松崎の出身、
「伊豆の長八」として知られます。
生活拠点であった江戸の作品は、
江戸の大火、震災、戦災で
多くが失われてはいるなか、
現存約45点のうちの貴重な1点。
左扉に描かれているのは、天照大御神の
孫の瓊瓊杵尊に天鈿女命。
瓊瓊杵尊は天叢雲剣を立て、
三種の神器の一つ八咫鏡を
胸に抱いています。
天鈿女命は天照大御神の
岩戸隠れの時に、
神懸りをした踊りを踊った神。
天鈿女命は自ら着衣を開き…
天孫降臨でのシーン、
天鈿女命が猿田彦命に乳房を
見せてあざ笑うという一幕。
彼女の乳房に触ると乳の出が
良くなるとの言い伝え、
猿田彦命の着衣の一部に
剥落が生じたことから
絵面の剥離防止処理がされたが、
天鈿女命の乳房の黒ずみは、
品川区指定文化財登録の
際にもそのままにされたとか。
寄木神社の社伝には、
八幡太郎 源義家の伝説もみられ、
義家が奥州征伐の際に当地に立ち寄り、
社の由来を漁民より知らされたとか…
義家は奉幣し戦勝祈願したと伝わる。
奥州平定後、兜を奉納したことにより、
「兜島」と呼ばれていたそうです。
南品川漁師町の成立までは、
兜島と呼ばれていたとされます。
青海波(せいがいは)の扁額、
海と共に歩んだ漁師町であった
粋なデザインです。
幕府に対して魚介類を納める
御菜八ヶ浦の1つであったようで、
"弟橘媛の伝説"とあいまって、
漁業を生業とした郷の社として、
守られてきたようです。
手水舎の奥に"亀の甲社"、
ちょっと珍しい名前の境内社。
明治時代の海亀を祀るそうで、
不幸にも亀は繋ぎ鎖を首に
巻き付けて死んでしまったとか。
この海亀の甲羅は上野博物館に
寄贈されているそうです。
石段の右手に"江戸漁業根源之碑"、
随筆家 本山荻舟の撰文によるとか。
頭の上が皿になっている狛犬、
通称「かっぱ狛犬」。
狛犬の皿の部分に蝋燭を灯し、
灯台の代わりにしたと伝わるもの、
起り破風(むくりはふ)と呼ばれる
寄木神社(よりきじんじゃ)
御祭神:日本武尊・弟橘姫命
相殿神:西宮大神・大己貴命・少名彦尊
社格等:村社 例大祭:1月14日・5月14日
所在地:東京都品川区東品川1-35-8
最寄駅:京浜急行電鉄本線 新馬場駅
瓊瓊杵尊は天叢雲剣を立て、
三種の神器の一つ八咫鏡を
胸に抱いています。
天鈿女命は天照大御神の
岩戸隠れの時に、
神懸りをした踊りを踊った神。
天鈿女命は自ら着衣を開き…
天孫降臨でのシーン、
天鈿女命が猿田彦命に乳房を
見せてあざ笑うという一幕。
彼女の乳房に触ると乳の出が
良くなるとの言い伝え、
猿田彦命の着衣の一部に
剥落が生じたことから
絵面の剥離防止処理がされたが、
天鈿女命の乳房の黒ずみは、
品川区指定文化財登録の
際にもそのままにされたとか。
寄木神社の社伝には、
八幡太郎 源義家の伝説もみられ、
義家が奥州征伐の際に当地に立ち寄り、
社の由来を漁民より知らされたとか…
義家は奉幣し戦勝祈願したと伝わる。
奥州平定後、兜を奉納したことにより、
「兜島」と呼ばれていたそうです。
南品川漁師町の成立までは、
兜島と呼ばれていたとされます。
青海波(せいがいは)の扁額、
海と共に歩んだ漁師町であった
粋なデザインです。
幕府に対して魚介類を納める
御菜八ヶ浦の1つであったようで、
"弟橘媛の伝説"とあいまって、
漁業を生業とした郷の社として、
守られてきたようです。
手水舎の奥に"亀の甲社"、
ちょっと珍しい名前の境内社。
明治時代の海亀を祀るそうで、
不幸にも亀は繋ぎ鎖を首に
巻き付けて死んでしまったとか。
この海亀の甲羅は上野博物館に
寄贈されているそうです。
石段の右手に"江戸漁業根源之碑"、
随筆家 本山荻舟の撰文によるとか。
頭の上が皿になっている狛犬、
通称「かっぱ狛犬」。
狛犬の皿の部分に蝋燭を灯し、
灯台の代わりにしたと伝わるもの、
品川あたりにはよく見られるとか。
起り破風(むくりはふ)と呼ばれる
珍しい形の拝殿屋根。
細かく彫られた龍の彫刻。
1913年に奉納された狛犬。
牡丹があしらわれています。
拝殿前の解説文…
「鏝絵天鈿女命功績図 二面」、
伊豆の長八は瓜実顔の天鈿女命と
お多福を、よく画題に用いたようです。
蔵普請すると必ず二つの像を漆喰で
作り蔵に置かせたといいます。
作り蔵に置かせたといいます。
この二人の醜女(しこめ)を前に
「醜いものは魔除け、厄除けになり、
財産を守り財を招く神になる」
「醜いものは魔除け、厄除けになり、
財産を守り財を招く神になる」
と語ったそうです。
猿田彦命ではなく天鈿女命とあるのは、
長八さんのそんなエピーソードなのか…
ただ御祭神は日本武尊・弟橘姫命、
相殿神も西宮大神・大己貴命・
少名彦尊とあり、
瓊瓊杵尊、天鈿女命、猿田彦命の
三柱を祀るとはされていません。
実は寄木神社の本殿そのものが
土蔵造りとなっているのですが、
外壁には大谷石が使われていて、
見た目には石蔵のような出で立ち。
土蔵を天照大神が隠れた"天岩屋"、
その見立てで天孫降臨をシーンを
着想したのかも知れません。
入江長八は1815年(文化12)生まれ、
日本橋の左官棟梁・波江野亀次郎の
もとで左官の仕事に従事するかたわら、
江戸に出て狩野派の絵を学んだ人。
天賦の画才能に加え熱心な研究心、
漆喰の灰汁止に漆を使って
自由に彩色するなど、
自由に彩色するなど、
鏝絵を芸術の域にまで発展させた人。
長八の鏝絵…
実は都内に残っているのは、
寄木神社のほかに1箇所のみとか…
"天の岩屋"で守られてきたのです。
寄木神社(よりきじんじゃ)
御祭神:日本武尊・弟橘姫命
相殿神:西宮大神・大己貴命・少名彦尊
社格等:村社 例大祭:1月14日・5月14日
所在地:東京都品川区東品川1-35-8
最寄駅:京浜急行電鉄本線 新馬場駅