髙島屋コレクション 大黒天と玉虫厨子
大黒天ローズちゃん…
リニューアルオープンを
記念して作られたそうです。
こちらがモデルの《有徳福来尊像》、
彫刻家・平櫛田中さんが晩年に
5年の歳月をかけ手掛けたもの。
平櫛田中さんは1897年に、
人間国宝の高村光雲の門下生に、
大正期にはモデルを使用した
塑像の研究に励み、
その後 彩色を使用し表現の
可能性を求めた人。
楠の一木造りで、彩色は
日本画家・奥田元宋さんによるもの。
高島屋史料館のサインは
平櫛田中の揮毫によるもの、
1970年に高島屋 東別館3階に
開館されたときのものが元。
1970年に高島屋 東別館3階に
開館されたときのものが元。
国宝 玉虫厨子です。
1960年、大阪店で開催された
「昆虫科学博覧会」で
披露された模造です。
日本鱗翅学会が
創設15周年記念事業として、
模造を企画したもので、
漆工芸家の北村大通さんが
手掛けたものでしたが、
戦争が始まったことで
未完成のままであったもの。
透かし金具の下に敷き詰められた
玉虫の羽は、新聞紙上で小中学生に
呼びかけて集まった羽を使ったもの。
15,595匹のうち5,348匹分使われたとか。
漆芸家・北村繁さんが修復したのもので、
史料館リニューアル記念として、
修復後 初公開されたものです。
四隅の木の角柱にも透かし金具、
そして側面に釈迦生前の故事である
「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)。
この捨身飼虎図ですが、
日本最初の異時同図法がコレ。
『信貴山縁起』「尼君巻」の
東大寺大仏殿参籠のシーンでも
使われている技法です。
尼君が懸命に大仏に
祈願して一晩過ごし、
そのお告げによって
信貴山に向かう様子を
表現しています。
こちらは京友禅の第一人者
村上嘉兵衛の手による
《旭陽桐花鳳凰図》。
下絵の作者である岸竹堂は、
近代京都画壇の夜明けを
告げたと言われる画家。
こちらは史料館のパンフより…
《なおす・代用・合体・連置
(震災後亘理町荒波で
収拾したカップの復元―
回向するかたち)2015》
青野文昭
2016年にタカシマヤ文化基金
タカシマヤ美術賞の受賞作品。
東日本大震災後、
収拾した被災物のコップを
復元しようとした作品とか…。
《三色扁壺》河井寛次郎
《みやまの四季》前田青邨 1957年
こちらは、1枚の絵に、
四季すべての花が描かれいて、
大阪・毎日ホールの緞帳の
元絵となった作品。
髙島屋がその緞帳の制作の
注文を受けたのです。
《なおす・代用・合体・連置
(震災後亘理町荒波で
収拾したカップの復元―
回向するかたち)2015》
青野文昭
2016年にタカシマヤ文化基金
タカシマヤ美術賞の受賞作品。
東日本大震災後、
収拾した被災物のコップを
復元しようとした作品とか…。
《三色扁壺》河井寛次郎
《みやまの四季》前田青邨 1957年
こちらは、1枚の絵に、
四季すべての花が描かれいて、
大阪・毎日ホールの緞帳の
元絵となった作品。
髙島屋がその緞帳の制作の
注文を受けたのです。
大黒天の背中には、
作者 平櫛田中の手形が
残されていたとか…
改めて確認したいと思います。