ザ・船場な戦後ビル㉚ 信濃橋のあたり
船場の西の端は西横堀川、
四つ橋筋の少し手前…
かつてそこには「信濃橋」が
架かっていました。
西横堀川は、
永瀬七郎右衛門の開削だそうで、
永瀬七郎右衛門の開削だそうで、
沿岸には材木商と瀬戸物商
といった商家がありました。
元禄年間の記録から
「信濃」の名がみられ、
その頃から信濃橋と…
名が残されています。
実は信濃橋入り口ですが、
来年2019年11月まで閉鎖。
信濃橋渡り線ってのを作って、
環状線周回を無くそうと…
がんばっておられます。
「信濃橋」が使われていました。
中央線と連絡予定がありながらも、
中央線と連絡予定がありながらも、
信濃橋を採用したというのが、
地名を大事にする大阪らしい
街の気風かも知れません。
荷捌きと駐車スペース、
いまは
「御堂筋安土町ビル」と
「御堂筋安土町ビル」と
名乗っておられます。
ブランド展開しておられる
大手アパレルの自社ビルでした、
…すでに過去形です。
1階部分を黒御影石を配する
消火栓も時代を伝えています。
西側部分の1階窓枠にも、
戦後ビルの意匠が伝わります。
こちら南側…煙突もあるのですね。
2016年に土地ともに
売却が決まっていて、
すでに所有権も移転登記済とか…
きちっとした水切り窓。
「築60年以上と老朽化が進み、
建て替えも検討したが、
最近の建築コストの高騰もあって
譲渡するのが適切と判断した。
大阪支店は近くに移転する」
とのことです。
とのことです。
まもなく解体工事が