蕪村のふるさと①〜駒繋の樟


虎次郎が住むオトナリの区 
都島区の広報誌の
新年号のお猿さん。
与謝蕪村 筆による
猿鹿図
(さるしかず)
ぶらりと過ごした、
初春の地元史跡探訪を綴ります。

谷町線 都島駅の地上にある
農業用水門。
その昔は
「かすがえ」
という名の地だったとか…

淀川の水利に恵まれた
田園地帯のシンボルとして、
再現されたものです。

こちら楠玉神社さん。
日本製紙㈱都島工場・
日本板紙㈱大阪工場の
守護神として祭祀されていたのが、
櫻宮御旅所の一角に遷座されたもの。

駒繋楠
(こまつなぎのくすのき)

源頼光の四天王の一人で、
善源寺荘とよばれる荘園の管理を
任されていた渡辺綱が、
この神社に詣でるとき、
いつも馬を繋いでいたからとか。


大阪府の天然記念物、
大阪府第1号の指定は、
この樹齢900年の樟。

ただ…
残念なことに戦災にあって
いまは枯氏状態になってます。

頼光は長徳年間(995〜998)に
八幡大神を祀ったのが神社の創建。
樟はそのときに、
自らが植えたのだとか…

さらに北へ向かうと、
遊歩道に架かる橋。
その名も「春風橋」。

そして「淀川神社」へ
社伝は定かでないのですが、
平安時代の初めごろにいた
淀川河口の海賊を取締るため、
武士が配備されたそうです。
全国の名だたる守護神として
祀られた数から、
十五神社」との名がありました。
与謝蕪村が生まれたころには、
毛馬町4丁目あたりにあった
八幡神社」とともに、
近くには二社が鎮座していたとか。

祭礼には幼少の頃に
なれ親しんだと想像されていて、
村人たちの心の拠りどころ
だったと伝わります。

2015年よりはじめられた
   「淀川神社絵馬」。
菜の花や 月は東に 日は西に
蕪村の俳句の裏に、
俳句と願いごとを書くそうです。

ところで蕪村の生家は何処に…
答えは跡形もなく淀川に埋没し、
深い川底に沈んでいるそうです。
明治政府が行なった
「河川大改修工事」。
川幅はもとの10数倍となって、
浅かった河の深さも5メートルの
巨大河川に変容しました。

蕪村生誕家の後継者の思しき人も、
「お寺も埋没し
「過去帳」もないために、
蕪村生誕地は「川底」にあると
信じているだけ」とか…。


このブログは
蕪村生誕300年記念 HP
大阪市都島区広報誌
MIYAKOJIMA 広報みやこじまNo.236
を参考にしました。

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