ゼロロクの尼崎① 大物主神社
いつもなじみの阪神電車に、
「大物」って名前の駅があります。
オオモノではなくて
「だいもつ」ってよみます。
地名の由来は諸説あるのですが、
平安時代に港町として栄えていた
尼崎の材木集散地がこの地にあり、
この巨材を「大物」と
呼んでいたことに因むとか…
大物主神社の方は「おおものぬし」と読みます。
第10代崇神(すじん)天皇の御代、
大和三輪山に大物主大神が祀られ、
子孫の鴨部祝(かもべのはふり)が奉じたのが、
ことの始まりと伝わります。
尼崎の語源は
「海が幸」ともいわれています。
海の恵み豊かであった場所、
陸海ともに都への交通の玄関口 尼崎。
社伝によれば…
海に至る河口に三角州が点在していて、
その州のひとつに大物主命の社が
祭りの場として建てられたのが
起源なんだそうです。
源義経が兄頼朝から追討されたとき、
逃亡の船出したのが「大物浦」。
近くにあった七軒長屋に
逗留したと言い伝えられていて、
この伝承を受け継ぐために
地元の人たちの力で1928年に
建てられた碑があったそうですが、
空襲によって喪失したものを
あらためて復興したものなのです。
「義経の都落ち」に関する
伝承のひとつがココということです。
暴風雨に押し戻されたかたちとなり、
奥州藤原氏を頼り逃れたといいます。
境内にあったもう一つの碑石
「汁醤油発祥地」の碑。
阪神大震災で喪失するまでは、
近くに残っていた醤油蔵。
「尼の生醤油」として、
明治の頃は兵庫県下の半分近くの
生産高を誇っていたようで、
尼崎醤油醸造同業組合も設立されて、
大正初めは最盛期だったそうです。