大大阪をあるく1 大阪市中央公会堂

札幌、名古屋、広島などなどの
洋館を訪ねて来たが、
大阪、京都そして神戸の洋館も、
改めて訪ねて行きたいなと思い立った。


















築を勉強している人は、
大阪に来たら
中之島の近代建築を見に、
必ず足を運ぶのだという。

まず近場なので「中之島」の洋館を
おさらいして観ようかと・・・・

赤レンガ建築の到達点を飾っているのが、
「大阪市中央公会堂」
北浜で株式仲買商を営んでいた
岩本栄之助の寄付によって、
1918年10月に竣工した建築。

指名コンペは1912年に行なわれたが、
参加者による互選という珍しい方法がとられ、
なんと最年少参加者の岡田信一郎の案が選ばれた。
ただ建築顧問の辰野金吾の事前採点でも
岡田案が1等だったところに事情がうかがえる。













「大阪市公会堂設計競技1席
  岡田信一郎案透視図」

    大阪市中央公会堂蔵



ネオ・ルネッサンスを基調に
バロック的な躍動感を加味したデザイン。
ちなみに
ネオとは、
ギリシャ語で「近代的な、新しい」

ルネサンスは
フランス語で「再生、復興」という意味。

















明治式と大正風が拮抗した時代を、
表わしている建物だと言われている。
西欧の近代主義的動向の
「新建築」
の風が届いてきていた頃。
でも「辰野式」が主張してるから
明治の雰囲気がプンプンしてる。

















正面の屋根上に飾られているのは、
「ミネルヴァとメルクリウス」の像。
「ミネルヴァ」
  科学・工芸・平和を象徴する女神で、
「メルクリウス」が商業の神なんだそうだ。
1943年の戦時中の
金属回収以来失われたものが、
2002年の保存・再生工事を
期に再現されたものだ。

当初の松岡壽氏のスケッチには、
大阪市章「みおつくし」が描かれている。



































軒蛇腹に変化もたせたり窓の大きさなどの
岡田氏の細かい工夫は、
変化を抑えたどっしりとした「辰野式」変更、
実施設計「辰野金吾」の名が裏付ける。

岡田氏はそのような流れを建築目的の変化、
材料の変化などに基づく合理的な建築を
目指すように考えていたという。































大阪市中央公会堂」
建築年:1918年(大正7)、改修2002年
鉄骨煉瓦造3階建 地下1階
設計:[原設計]岡田信一郎
   [実施設計] 辰野片岡建築事務所
【国重要文化財】


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