平山郁夫のヒロシマ
平山郁夫さんは15歳の中学生の時に、
勤労動員中の広島で被爆された。
そんな体験をもつ
平山さんが描いたヒロシマが「広島生変図」だ。
20年の間、広島に行くことすら出来なかったが、
このテーマの作品はコレただひとつなのだという。
紙・彩色・屏風 1979年《171.0×364.0cm》
平和記念資料館の東館地下1階のロビーには、
この絵を陶壁画が展示されているらしい。
地下のロビーは降りたことがなかったので、
今回がはじめての対面だった。
炎の中の不動明王は「憤怒」よりも、
生き続けようとする決意の表情と映った。
平山さんは『私の道 瀬戸内の潮騒に育まれて』で、
「広島は決して滅んだわけではない、
生まれ変わって生き続けているんだ、
ということを表現したかったんです。」
と述べられている。
まさに広島再生の願いと
平和を希求する心意気が漲る作品である。
「美術は、芸術は、美しいものでなければならない。
原爆の図 も美しくなければ駄目。
塵芥の中からの「泥中の蓮」と同じで、
大変な経験の中から、抜けて、
それを生かしていく。
美の中に、人に勇気を与えたり、
いろいろなことを感ずる絵でありたい。
苦しみも悲惨をも乗り越えて
なお生きる人々の強さと尊さ、
それは美しく描いてこそ、
見る者に伝わるはず」と言われる。
なぜ広島出身の平山さんが
ヒロシマを描いていないのかとずっと疑問だった。
広島県立美術館が所蔵する「広島生変図」。
「怒りを祈りに代えた平山さんの想い」を携えて、
ふたたび広島を訪ねていきたいと思った。
勤労動員中の広島で被爆された。
そんな体験をもつ
平山さんが描いたヒロシマが「広島生変図」だ。
20年の間、広島に行くことすら出来なかったが、
このテーマの作品はコレただひとつなのだという。
紙・彩色・屏風 1979年《171.0×364.0cm》
平和記念資料館の東館地下1階のロビーには、
この絵を陶壁画が展示されているらしい。
地下のロビーは降りたことがなかったので、
今回がはじめての対面だった。
炎の中の不動明王は「憤怒」よりも、
生き続けようとする決意の表情と映った。
平山さんは『私の道 瀬戸内の潮騒に育まれて』で、
「広島は決して滅んだわけではない、
生まれ変わって生き続けているんだ、
ということを表現したかったんです。」
と述べられている。
まさに広島再生の願いと
平和を希求する心意気が漲る作品である。
「美術は、芸術は、美しいものでなければならない。
原爆の図 も美しくなければ駄目。
塵芥の中からの「泥中の蓮」と同じで、
大変な経験の中から、抜けて、
それを生かしていく。
美の中に、人に勇気を与えたり、
いろいろなことを感ずる絵でありたい。
苦しみも悲惨をも乗り越えて
なお生きる人々の強さと尊さ、
それは美しく描いてこそ、
見る者に伝わるはず」と言われる。
なぜ広島出身の平山さんが
ヒロシマを描いていないのかとずっと疑問だった。
広島県立美術館が所蔵する「広島生変図」。
「怒りを祈りに代えた平山さんの想い」を携えて、
ふたたび広島を訪ねていきたいと思った。