「秋風や囲いも無しに興福寺」
正岡子規が詠んだ句
「秋風や囲いも無しに興福寺」
興福寺 には塀がありません。
たびたびブログに書きましたので、
想像がつくかも知れませんが、
南都六宗の一つの興福寺は藤原氏の氏寺であり、
古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。
どこまでが境内なのか分からないくらいの
広大な敷地を誇っていたので、
東大寺と違って「○○門」ってのもありません。
いわゆる荘園の広がりは、
この春につながる阪神電車の地域まで及んでいたようです。
東大寺 は室町時代の終わりごろまで
阪神尼崎駅の北側に位置する地域に、
756年に寄進を受けた荘園「猪名荘(いなのしょう)」を
持っていたようですし、
興福寺の荘園も尼崎の地にあった記録が残っています。
1300年の時を超えて、
奈良と阪神地域との交流が
始まるのかもしれません。
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話を興福寺に戻します。
奈良のシンボル的存在の 「五重塔」の初層や
「南円堂」の内陣の公開は、「北円堂」より少し長く、
11月24日まで続けられます。
虎次郎はこちらの特別公開も見て来ました。
「南円堂」は西国三十三箇所の九番札所で、
信仰をあつめており、いわゆるている白衣(びゃくえ)や
朱印帖に御朱印を求める人が絶えません。
木造不空羂索観音坐像は、
(ふくうけんじゃくかんのんざそう)
運慶の父である 康慶一門 の作として知られています。
手に持つ羂索(網)は、 願いを決して空しいものにしない
誓願を持つと言われています。 堂内でその羂索を持ってみました。
いわゆる雲の糸ってことになるのかも知れませんね。
虎次郎の願いは
「楽しんで元気に過ごせますように」でした。
不空羂索観音坐像を中心に、
四方にその子・
運慶の作ともいわれる
四天王立像が
安置される内陣は、
まさに国宝・重文の
宝石箱でした!!
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