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阪急七福神めぐり〜瀧安寺・弁財天

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箕面の森には 女性の七福神 、 弁財天さんがおられます。 箕面山 瀧安寺 へ!! 弁財天とは 巳さん なので、 鳥居には 巳富 講と刻まれる。 「富」とあるのは、 宝くじの起源富くじ 「 箕面富 」のこと。 江戸時代には多くの人々が、 箕面富の福を求めて押しかけ、 大賑わいだったそうです。 飛鳥時代に大瀧のもとで 弁財天の助法を受けて 悟道した 役行者 が、 報恩のため瀧のそばに 堂を建てたという、 寺伝にもとります。 役行者は66歳で 伊豆大島 へ流罪となったあと、 のちに無罪として都に迎えられ、 68歳の時ふたたび箕面へ戻って、 山奥の 天上ヶ岳 から昇天されたとか…。 箕面山は悟道の地であるとともに、 終焉の 聖地 といわれています。 本堂の弁財天は水の神格で、 自然神として水辺に祀られます。 古代インドの河の女神 「 サラスヴァティー 」が ルーツなのだそうです。 瀬音から音楽・芸能の神として、 琵琶 を抱える姿で描かれる弁財天。 奉納額には琵琶がそこかしこに。 瀧安寺の弁財天は 竹生島、江ノ島、厳島とともに 四弁財天の一 として 知られているそです。 御開帳はなんと、 60年に一度なんだそうです。 帰り道すがらに母を背負う像。 あの 笹川良一 の姿だとか。 箕面といえば 「 箕面温泉スパーガーデン 」。 日帰り入浴施設の 草分け的存在として健在! そして箕面といえば…お猿さん。 ちかごろは 「 滝ノ道ゆずる 」くんが、 あちこちに出没。 駅前には ゆずるくんの大理石像も。 もみじ天ぷら も ゆずるパッケ。 はまってしまって、 LINEスタンプ まで 買ってしまいました。 箕面・瀧安寺 弁財天  阪急箕面駅下車 北東へ約900m

阪急七福神めぐり〜西江寺・大黒天

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阪急七福神めぐり。 大黒天 がおられる箕面の森へ。 箕面の瀧には 行ったことがあるけど、 阪急電鉄箕面線 で行くのは、 初めてだと思います。 箕面には大黒天と弁財天。 こちらは 大井堰水路 の分水地。 平尾・西小路・桜・牧落  四か村の農業生産を支えてきた 重要な用水路です。 古くは種もみをつける場として 利用されてた大切な場所。 大黒天がおられる「 聖天宮 西江寺 」 (しょうてんぐう さいこうじ)へ。 大黒天は古代インドにおいては、 「 マハーカーラ 」いう 暗黒に住み死を司る神なんだとか… ちょっと以外です(TOT) 西江寺に祀られる大黒天は、 日本ではめずらしい 立像大黒天 、 室町時代中期の作です。 箕面山は古来から瀧を中心に 山林の修行道場として発展、 古い修行地の一つです。 飛鳥時代に 役行者 (えんのぎょうじゃ) によって開山, 箕面大瀧で苦行を重ねていたある日、 老翁に化身した 大聖歓喜天 が現れたところ。 役行者と歓喜天の化身である老翁が 対談したとされる「 対談石 」がこれ! 日本最初の歓喜天霊場である由縁です。 こちらが本堂です。 地元の氏神「 聖天さん 」として 信仰を広く集めています。 大聖歓喜天は象頭人身の男女が 抱き合う形をしておられます、 提灯にある「 二股大根 」は、 〈 大黒の嫁御 〉に通じるものです。 そして肩にかける 大きな袋 も… 箕面・西江寺 大黒天   阪急箕面駅下車 北東へ約300m 「二股大根」については、 手塚山通信「 大黒さまは誰だろう〜大国主神社 」へ。

神戸の異国教会めぐり【番外】 華僑ゆかりの地

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「 華僑 (かきょう) 」 本国以外で暮らす中国人の総称で、 出身地は中国の福建省、広東省、 台湾、香港などさまざま。 「 神戸中華同文学校 」の講堂棟。 大きなおへそのようにも見えますが、 中国古来の 易学の八卦 がモチーフ。 屋上の 2本の角は龍 を表しているとか。 講堂部分を龍の頭にみたてているそうで、 校舎全体が天に向かっての昇り龍、 学習向上の願いが表現されています。 「華文教育を通して  中国人としての自覚を身に付け、  徳、知、体の健全な発展をはかり、  将来中日友好事業に  積極的に貢献出来る人材の育成」を 教育目標に掲げておられます。 西南角にあった 「 孫中山先生来訪之地 」 1893年3月1日に 神戸・大阪の華僑社会の 社団として設立された 「 神阪中華会館 」があったところ。 1913年3月13日に 孫中山 が ここを訪問したそうです。 1915年には舞子の 「 移情閣 」建設に繋がりました。 東側には 「学校法人 神戸中華同文学校」。 横浜の中華学校では教育方針を巡って、 大陸系と台湾系で分裂したそうです。 でも神戸は割れなかったとか… 「華僑は政治的なことで  分裂してはならない」 との 李校長の方針に多くの賛同が得られて、 今に至っておられるそうです。 1945年6月5日の神戸大空襲で、 校舎は焼失したため、 一時、神戸市立大開小学校の校舎を 市から借りて授業を再開されました。 しばらくして、 在神華僑の募金によって 1959年に新校舎が落成、 部分的な改修を繰り返されて、 半世紀近く校舎が使われています。 元タカラジェンヌの 鳳蘭 さん、 FM COCOLOのDJ MEME さんの 母校でもあります。

阪急七福神めぐり〜呉服神社・恵比寿神

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阪急宝塚線の 西国七福神 めぐり。 1月に集印めぐりしたときのネタ。 阪急沿線「 西国七福神 」は、 阪急電鉄の創始者であった 小林一三さんが始められたもの。 1914年(大正3)からある 伝統的な参拝巡礼なんだそうです。 「 ミニチュア電車コース 」の 大福帳を阪急梅田駅を 500円で買い求め…いざ! ちょうど十日戎の残り戎の日に… 「 呉服神社 」は   くれはじんじゃ と読みまして、  日本書紀にある 「呉服・穴織伝承」を 今に受け継ぐ神社です。 応神天皇の時代、 呉服 (クレハトリ) ・穴織 (アヤハトリ) という姉妹がこの地に住みついて、 機織・栽縫の技術を 伝えたとされています。 絹布類を指す「 呉服 (ごふく) 」は ここから発祥なのです。 謡曲「呉服 (くれは) 」 は、 時の帝の臣下が、 西の宮に参詣の道すがら 「呉服の里」で織女との 出会ったことから始まる物語。 呉織が天女の姿となって現われ、 君が代を祝って舞を舞い、 綾錦 (あやにしき) を織って 献上するという曲なのだそうです。 拝殿は1968年に再建のもの。 拝殿内部の杉戸絵には、 狩野派の絵師 桃田伊信 の筆による 鶴と鷹が描かれているとか… 祭礼でない日にでもふたたび。 正面左右にある 鳳凰のステンドグラス 。 再建当初は反対の意見も 多かったそうですが、 モダンで粋な拝殿は “ 池田らしさ ”として 街の誇りになっています。 拝殿に向かって右側にある 「 末社 恵美須神社 」。 “ えべっさん ”と 親しまれる恵美須神。 狩衣姿で、右手に釣竿、 左脇に鯛を持たれる。 拝殿ではマイクで 福娘さん 、 参拝の人たちをお出迎えです。 おなじみの縁起物イロイロ。 1900年(明治33)に栄本町から 引っ越してこられ鎮座されたもの。 こちら「 叩き板 」 三度たたけば幸ち来る。 叩いてみたので上々かな? 池田・呉服神社 恵比寿神  阪急池田駅下車 西へ約300m