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「うえの夏めぐり」リーリーとシンシンと初対面

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今年の2月21日にやってきた リーリーとシンシン。 大震災の影響もあって、 一般公開は4月1日からだったけど、 職場のパンダ好きの後輩の 「見てきました」に触発され、 初対面を果たして来ました。 開門から並んでパンダ館に直行。。。 フタリとも食事中でした(・ω・)v それにしても着ぐるみやないですよね。 あっこれは ヌイグルミ ・・・・ 日曜日プラス夏休みに入ったので、 混雑するのではとシンパイしていたのですが、 「おとなちゃれんじ」ゾーン は空いていました。 すし詰め風 パンダとか・・・ 中国での名前は 比力(ビーリー) と 仙女(シィエンニュ) 。 ともに5歳の彼らたち、人間でいうと 18~19歳ぐらいのお年頃。 「仙女」 とは天女のことなんだそうで、 一方の 「比力」 は里親の好きな名で 特に意味はないのだと言います。 でも新たな名前が必要なのかは分からない 。 実はこんな事情があるそうだ・・・ 中国のパンダ保護研究センター生まれの 彼らには餌代など養育費を負担してくれた人、 つまり里親 がいたのだそうだ。 これからは 上野動物園が「里親」 ってことに、 その意味では「上野」に相応しい 名前を新たにつけてほしいという 中国側の意向があったと伝わります。 名前の意味はほぼ中国語名に近い、 男のコは「力持ち」、女のコは「純真」、 「力力」 と 「真真」、 日本に一番イマ必要な「真のチカラ」。 とってもいい名前やと思いまふ。 食べ終わってベッタリ・・・・ こんな姿も見れてラッキーやな(・ω・)v また会いに行きまふ!!!!

「うえの夏めぐり」上野の森の英雄たち

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八重洲のホテルを早々に立ち、 東京駅で荷物を預けて、 上野の森に再び現れたパンダに会うため、 東京メトロ「京橋駅」 に向かう。 上野駅に着くと 「うえのパンダ」 の看板、 「上野百貨店(西郷会館)」 があったところ。 現在工事中で囲まれていました。 袴腰広場をあがると 東京を見守る 「西郷隆盛」 さん。 江戸の無血開城、明治維新の 廃藩置県、 富国強兵、四民平等などの功績を残した彼は、 最後は西南の役という 鹿児島士族が起こした 我が国最大の内乱である 「西南の役」 を 率いたさなか1877年に自刃します。 朝敵となった西郷ではありましたが、 その後1889年の 大日本帝国憲法発布による大赦で 正三位を追贈され改めて明治政府からの 評価を得ることになります。 偉大な功績を讃えて上野の地に銅像が 建てられたのは1898年のこと。 除幕式には時の総理大臣の山県有朋、 勝海舟や東郷元帥など800名が 参加して盛大に行われたそうです。 名誉回復の機となった西郷像ですが、 犬を連れている和装の姿は、 当時の政治情勢をあらわしたもので、 明治維新の元勲姿とはなりませんでした 。 ウサギ狩りをしている姿だと伝わりますが、 「浴衣姿のようだ」 と未亡人が嘆いたとも。 勲章のついた洋装とならかったことが、 それがかえって庶民に親しまれる存在に     なったのかも知れませんね。 ところで・・・ 西郷さんは 高村光雲 さん の作ですが、 ツンは 後藤貞行 さん の手によるものです。 多くの銅像の馬などの動物は彼の作品だとか。 それと上野にあるという理由・・・・ 皇居から見て北東に位置するのが上野、 北東の方角は古来から鬼門と言われる。 鬼門封じに西郷隆盛を立たせた のだと??? 真意の程はわかりませんが・・・ こちらは 「小松宮彰仁親王」 明治維新の功労者で、 会津征討の総督に任じられた人。 う~~ん 「西郷さん」が騎乗の像だったとしたら、     印象はかなり違ったでしょうね。 公園の真ん中にある  「竹の台噴水」 周辺は改装中、 同じく改装中の「東京都美術館」前の 茂みのなかに上野公園の生みの親である オランダの一等軍医 「ボードワン博士」 の胸像があります。 今でこそ 都市公園=パブリックスペース     というのが定着していますが、 明治初年のイケイケドンドンの時期に、 都...

TARO100《若い時計台》

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東京で泊まった理由は 「パンダ」 ともう一つ。 そして・・・ 太郎の「パブリックアートをあるく」 こと。 東京駅チカのホテルにしたのは、 夜の銀座をぶらりとするために・・・・ 先月の6月26日に修復がなされ、 よみがえった 《若い時計台》 。 「 人間は本来八方に意欲を突き出し、  情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。  時間を超えた時間、機械的でない、  人間的な時間を表象したつもり」 「数寄屋橋ライオンズクラブ記念誌」より 時計台ができたのは 「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」 が 「銀座ライオンズクラブ」から      独立したのがキッカケ。 1960年代の当時のこの界隈は、 「みゆき族」 が闊歩するワカモノ文化の発信地。 「やたら色、形が混乱した雑踏の場。ひどい」 と、 あの 岡本太郎 でもさすがに嘆いていたのだという。 「 ただすっきりとしたものを  作ったって埋もれてしまうだけ。  激しいと同時に、静まった、  周囲と異質でありながら  ピタリとあの場所に生きる、  彩の濃い象徴を」  ということで、 円柱スタイルの台から円すい状のオブジェが さまざまなに突き出すカタチになったのだという。 とにかく東京の夜は暗いから。。。 ひょっとして 《若い時計台》 も 節電対象になっているのでは?? と心配していたのだが・・・ 自ら光を発しての自己主張!! 体から突き出している角なるモノ、 一つ一つ根元からも 光が発せられていい感じやった。 マリスタではフィールドウォーク したし、 お腹がかなり減ったので。。。 ちょっとチェックしていた 「 数寄屋バーグ 」 を・・・ Lサイズ250グラムに アボガドチーズ を・・・ 肉汁たっぷり 虎次郎 大満足!!! で・・・・ 《若い時計台》 やっぱり昼の姿も見たかったら、 改めて昼間にも寄ってみたのよ・・・ 風景にかき消されているのでは?      と心配したのだが、 「若い時計台ここにありき」  感じで立ちすくんでいました。 「数寄屋橋ここにありき」の石碑 『君の名は』の作者である 菊田一夫 の筆による 『君の名は』とは1952年に放送された    NHKラジオドラマ。 その後 映画化されてヒロインの 岸恵子がマフラーを巻いた「真知子巻き」が 流行したとか・・・ 高度成長期のの匂い が残る。 顔を辺をアップ...

いざQVCマリンへ その六「フィールドウォーク」

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いざQVCマリンへ最終回・・・ 試合終了後になんと、 フィールドウォーク の機会に恵まれました。 レフト側のリリーフカーの入口から入場!! オールスターをやっていたフィールドを 体験できるなんて・・・・ラッキー。 仙台へ移動の オォトラさんたち と別れて、 グラウンド開放を体験してきました。 プロ野球のゲーム後のグラウンドに立つのは 京セラ 、 甲子園 についで3球場目です。 甲子園は 真冬でカチカチ     だったからかも知れませんが、 「アストロネクストターフ」 の人工芝は ソフトな感じでとっても気持ちいい。 長い時間並んでいたので・・・寝転がって堪能。 せっかくの フィールドシート でしたので、 ひょっとしたらひょっとするカモ??と。 千葉の試合球 を入手していたので、 外野をコロコロと遊んで来ました。 手持ちのサインボールには、 試合終了後にソフトバンクホークスの ハリー・ホーク にサインを!! とっても満足な虎次郎でありました。 バックネット裏のボードも オールスターのスコア そのまま・・・    なかなかの心づかいです。 さすがに ピッチャーマウンド は バリケードされていましたが、 ここまで近づけるのはなかなかない。 各キャンバスは開放されていて、 ちびっ子たちが べーラン に興じていました。 ちびっ子が土を採取してるのは 、 夏休みの自由研究 のはずに違いない(笑) ベンチ も間近で・・・・ さっきまでオールスターたちが 陣取って居ったのですから感激です。 かなり注意のアナウンスはされたいましたが、 フェンスに駆け上がる猛者多数・・・・ 虎次郎「アカマツちゃれんじ」ならず。 こちらは マツダRX-8 の特別仕様の             リリーフカー です。 試合中は交代のたびに リリーフカーのドアを開けるために マスコット登場していました。 ちなみにこの リリーフカー は、 現在はプロ野球では3球場しか使われていません。 「QVC」 と 「甲子園」 とあと       「 横浜スタジアム」 。 ですからこのオールスターでリリーフカーが 見れるのはこの 千葉だけ やったんですね。 レアじゃの・・・・・ あのMVPの表彰台とか・・・ フィールドウォークのサポートは、 千葉ロッテのチアたちがやってました。 このイベントが終わってから    仙台...