大阪のはしばしvol.12 九之助橋


西側を九之助町といったことに
由来するらしい"九之助橋"、
東横堀川に架かるアーチ橋。
江戸初期には既に架けられていたとか。
「大阪のはしばし」不定期ですが、
追々架けてていきたいと…

橋の西側は九之助町で、
"九之助橋ビル"が立っています。

住友の銅吹所をはじめ、
鋳物屋、鍛冶屋が多かったので、
橋には銅吹所の意匠がみられます。

こちら銅吹所の炉

寛永年間(1640年頃)住友家2代の
住友友以(とももち)が開いた銅精錬所、
舟運の利便性を活用して
多くの銅吹所があったという。

町名や橋名の九之助は人名だろうが、
由来はさだかでないようで、
町橋であったため、橋筋の町を中心に
町々からの醵出金によって
維持されてきたようです。

橋の顕彰碑によると、
東横堀川は大坂城外堀され、
秀吉により天正13年(1585)に開削。
江戸時代初期の絵図には、
既に"九ノ介橋"の記載がある。
六代目 笑福亭松鶴 師匠の十八番、
落語「らくだ」で
棺おけを担いで
渡るのもこの橋だとか…

木橋であったが大正15年(1926)
上路アーチ形式に架け替え、
御影石積みの親柱と照明灯は、
当時のものをモチーフとした。

松村博氏の『大阪の橋』によると、
東横堀川にはアーチ橋が多く、
鋼製とコンクリート製の橋が
ほぼ交互に架橋されているのは
都市の美観への積極的な配慮だという。

橋東側の"瓦屋町"で、
その由来は大坂城落城後に
徳川家の御用瓦師であった
寺島宗左衛門がこの地を与えられ、
代々 瓦を製造した場所でした。
その中でも淡路屋太郎兵衛は、
天王寺の五重塔を"一建立"、
"一建立"とは一人の力で奉納、
町橋を支えた人々がいたのです。

『大大阪橋梁選集』(1929年)に
残る九之助橋の写真がこれ…
奥に見えるのが長堀橋時代の高島屋、
1935年には心斎橋筋「そごう」が
橋の遠景に重なっていったのです。

阪神高速の高架下の工事囲い、
暗くかげった九之助橋は、
どこか寂しげでもありました。

かつては東横堀川沿いの遊歩道も
通ることができたが…

通せんぼになってるから荒れ放題…

再び橋の風景をすこし辿ってみます。
■九之助橋(くのすけばし)
橋長:34.28m 幅員:11.5m
形式:アーチ橋(2ヒンジアーチ)
完成:1927年
行政区:中央区 河川名:東横堀川
アクセス:OsakaMetro長堀鶴見緑地線 
     松屋町駅 4番出口 およそ250m

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