エリア仁徳vol.4 丸保山古墳・ 菰山塚古墳


仁徳陵の後円部の西側に
近接して築かれている
丸保山古墳」。

1955年の開墾で削られ、
原形を留めていません
埋葬構造や副葬品は不明…
ただ円筒埴輪片の採集により、
築造は5世紀後半と推定。

ガイドブックなどによると、
「短い前方部を南に向けた
 帆立貝形古墳」と…
「帆立貝形古墳としては
 百舌鳥古墳群で最大規模」とも。

ところで…この
帆立貝形古墳」という言葉。
「前方後円墳の変形型、
 あるいは円墳に低く
 短い張り出しがついた形状。
 上空から見ると、
 ホタテ貝の貝殻に見える。」

というのが説明になります。

「前方後円墳であるが、
 前方部が短いのが特徴。
 ただ、後方部は
 造出しがついた円墳
 とも考えられている。」

千葉県文化財センターの
調査部長 沼澤 豊さんは、
日本古墳の構造研究」 で、
「(前方後円墳など)
 これらの墳形名にくらべ
 帆立貝式(形)古墳という
 命名法はまったく異質であり、
 幾何学的図形名によらず
 帆立貝という
 自然界に存在する事物との
 形態上の類似から
 名づけられている。」※

なぜ帆立貝なのかのギモンは、
論文をサラッと読んだだけでは、
解決できません(T_T)

丸保山古墳」には
もう一つ面白い状況が
あるんです。
後円部は宮内庁
前方部および周濠は堺市
管理しているのです。

丸保山古墳」で
ググるとでてくるのがこの写真。
去年の9月の台風21号では
持ち堪えていたのですが、
1週間後ついに力尽きた。

近所の男性が
約30年前に植えて育てた
高さ数メートルのサボテン
古墳とサボテンの
組み合わせが「珍八景」
世界遺産前に
自らその進退を
決めたのかも知れません。

茂みに見えるのは、
かつてのサボテンかも。

古墳の角に鎮座する
八丈神社」。
天照皇大御神を由来、
大和国より稲荷大神
当地に遷座されたとか。

石柱の奥に
正一位 稲荷大明神」とある。

縁起が刻まれておりました。
皇紀千八百年頃…とあり、
明治期より3代の神職が
奉祭していたと伝えます。

施主の石碑もありました。



仁徳陵周遊路との間に…
ラブホが一軒残る?
かつては古墳の周りには、
数件立っていたとか。





凛とした松が立つ
菰山塚古墳
こもやまづか と読む。

古墳の案内がなければ、
邸宅の御庭のようです。

住宅に取り囲まれた
円墳状の墳丘が残るのみ…
かつては小規模な
帆立貝形の前方後円墳でした。

ちなみにとは
沼地に群生する
イネ科の多年草のこと、
かつては生い茂っていたのか。
原形を留めなていなかった
ということもあって、
宮内庁管理でありながら、
しばらく前までは、
なんの表示も
見られなかったとか…


「丸保山古墳 」
(仁徳天皇陵陪塚へ号)
・帆立貝形古墳
・墳丘長87m
・5世紀後半
・堺市堺区北丸保園
【世界文化遺産登録候補】

「菰山塚古墳」
(仁徳天皇陵陪塚ほ号)
・帆立貝形古墳
・墳丘長33m、後円部直径18m、
 前方部幅28m
・5世紀前半
・堺市堺区南丸保園
【世界文化遺産登録候補】

※このブログは
沼澤 豊さんの論文
「日本古墳の構造研究」 2011年を参考にしました。
帆立貝古墳論(下)―帆立貝古墳の被葬者―

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