絵にみる和食通⑬ 高級魚はもとは庶民の味
縦長に描かれた長沢蘆雪の
「鱈図」のドアップ…
かつて大丸梅田店地下の食料品売り場で、
バイトしていたボクにはおなじみの魚。
棒ダラでなく生はニオイがスゴイから、
一週間も売っていたらどんなに
お風呂に浸かっても
カラダそのものが鱈ちゃんになってた。
「鱈図」長沢蘆雪 画
(和歌山 串本応挙芦雪館 蔵)
蘆雪の師である円山応挙もあんぐり口を
開いたタラの全身の図があるそうで、
応挙のは横長に描いているのだそうです。
ところで…
鱈はほとんど刺身で
食べられることはありません。
タラちりとかお鍋に入れるとか…
棒ダラなんかの干物としての保存は、
鱈の美味しさがどこまで続くのかという
ことを端的に知る保存法なのです。
魚のうまみ成分は
グルタミン酸とイノシン酸。
魚を釣り上げてすぐ〆た魚は、
身はコリコリしていて独特の歯ごたえ。
ただ味としては
ほとんど無いように思えます。
理由はタンパク質が
まだ分解されていないから、
しばらく時間を置くと
アルカリ性の死んだ直後の魚が、
やがて乳酸を発生させて酸性になる。
普通酸性の食べ物のほうが
美味しいと感じるのです。
彭城百川(さかき ひゃくせん)と読む。
『絵入貞徳狂歌集』には、
独特の調理法の”鮟鱇のつるし切り”の
挿絵があるそうなのだというが…
見つけられなかった。
『本朝食鑑』という
人見必大(ひとみ ひつぜん)が著した書には、
鮟鱇が元禄時代から親しまれとある。
浜で捌かれるということは、
足が早いということ。
美食として持て囃すように好んだのは、
あの徳川光圀さんなんだそうです。
小菅桂子さんの
『水戸黄門の食卓―元禄の食事情 (中公新書)』
によると... 水戸独特の料理法は
共酢(ともす)で食べたとある。
あん肝は海のフォアグラとも称され、
江戸時代の頃には「三鳥二魚」と呼ばれる
五大珍味の1つに数えられていたそうです。
ちなみに三鳥二魚は、
鳥=鶴、雲雀、鷭(バン)、魚=鯛、鮟鱇。
「焼き魚に大根おろし」の食い合わせ…
かつては下卑の魚とされていて、
京都や大阪ではもっぱら鯛で、
「鱈図」長沢蘆雪 画
(和歌山 串本応挙芦雪館 蔵)
蘆雪の師である円山応挙もあんぐり口を
開いたタラの全身の図があるそうで、
応挙のは横長に描いているのだそうです。
ところで…
鱈はほとんど刺身で
食べられることはありません。
タラちりとかお鍋に入れるとか…
棒ダラなんかの干物としての保存は、
鱈の美味しさがどこまで続くのかという
ことを端的に知る保存法なのです。
魚のうまみ成分は
グルタミン酸とイノシン酸。
魚を釣り上げてすぐ〆た魚は、
身はコリコリしていて独特の歯ごたえ。
ただ味としては
ほとんど無いように思えます。
理由はタンパク質が
まだ分解されていないから、
しばらく時間を置くと
アルカリ性の死んだ直後の魚が、
やがて乳酸を発生させて酸性になる。
普通酸性の食べ物のほうが
美味しいと感じるのです。
魚はしばらくしてからの方が
「お・い・し・い」ってこと。
「お・い・し・い」ってこと。
「鮟鱇図」彭城百川 筆
『絵入貞徳狂歌集』には、
独特の調理法の”鮟鱇のつるし切り”の
挿絵があるそうなのだというが…
見つけられなかった。
『本朝食鑑』という
人見必大(ひとみ ひつぜん)が著した書には、
鮟鱇が元禄時代から親しまれとある。
浜で捌かれるということは、
足が早いということ。
美食として持て囃すように好んだのは、
あの徳川光圀さんなんだそうです。
小菅桂子さんの
『水戸黄門の食卓―元禄の食事情 (中公新書)』
によると... 水戸独特の料理法は
共酢(ともす)で食べたとある。
あん肝は海のフォアグラとも称され、
江戸時代の頃には「三鳥二魚」と呼ばれる
五大珍味の1つに数えられていたそうです。
ちなみに三鳥二魚は、
鳥=鶴、雲雀、鷭(バン)、魚=鯛、鮟鱇。
「河豚図」池大雅 筆
毒を持つことは知られていましたが、
日本人は有史以前から
河豚を食べていたらしく、
もともとは庶民の魚だったのです。
「初松魚自画賛」渡辺崋山 筆
(兵庫 柿衛文庫 蔵)
「籠の目や潮こほるゝ初松魚」との画賛、
初鰹をどうやら刺身にして、
葉もとまで大根をおろそうとしている画。
「わさびおろし」のようなものに大根、
16世紀の室町時代の終わりごろか
17世紀の江戸時代の初めに書かれたという、
料理伝書『庖丁聞書』(ほうちょうききがき)に
て「おろし」がすでに使われていたそうである。「焼き魚に大根おろし」の食い合わせ…
科学的にも理にかなったことだそうです。
高級魚といえばあのマグロ、かつては下卑の魚とされていて、
京都や大阪ではもっぱら鯛で、