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いのちどぅ宝の島へ① 沖縄平和祈念堂

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久しぶりの沖縄… プロ野球のキャンプ に 来たのは初めてだけど。 やっぱりここは 訪れておきたかった 「 摩文仁の地 」。 沖縄平和祈念堂… ブロンズ像「 少年 」は、 彫刻家 佐藤忠良 さんの 手によるもの。 宮城県出身の佐藤さん 「苦悩を内に秘め、  過去、現在、未来を  凝集した表現を目指した」 というこの像。 沖縄を象徴するかのよう、 像の黒、塔の白、そして青空 。 1978年10月1日開堂の 「 沖縄平和祈念堂 」。 公益財団法人 沖縄協会によって管理、 5月5日「 こどもまつり 」、 6月17日 「 レクイエムコンサート 」、 そして6月23日 沖縄全戦没者追悼式の 前夜祭も行われる場所。 そして大晦日の夜から 元旦にかけては、 「 摩文仁・火と鐘のまつり 」。 塔と同じフォルムをした 七角合掌型高さ9mの 鐘楼「 平和の鐘 」。 澄んだ音色が 摩文仁の丘に鳴り響くとか。 堂内に入ると… 沖縄平和祈念像 が鎮座。 高さ12m、幅約8m。 像の作り上げには、 ここ沖縄でしかなし得ない 技法が用いられています。 漆に粉の絵具(顔料)を 混ぜた 堆錦 (ついきん) という 漆の餅を作って、 漆器に装飾する技術。 像を手がけたのは、 沖縄県那覇市生まれ 山田真山 画伯。 1940年沖縄に帰り 沖縄戦を体験されました。 本来平面的に使われる 堆錦の技法を、 立体的彫刻に活かす 技術を開発されました。 堆錦は気候条件に 極めて敏感…、 沖縄以外での 像の実現は難しいとか。 よく見かける仏像と 異する台座には、 想像上の花や蛟竜 (こうりゅう) 。 台座の火炎は 地球のマグマ を表す、 その上に配置される花弁、 6弁は 6大陸 を意味するとか。 「平和の心象を人間像を  媒体にして具現すると、  日本人の感覚としては  必然的にこのような形になった」 山田真山画伯のコトバです。 堂内は日本画壇の 美術館でもあります。 《唐破風(からふぁーふ)》   安次富 長昭 《回想する守護神》   大嶺 政敏 《石庭(京都・竜安寺)》   稲垣 久治 祈念像の周りには、 西村計雄 画伯の連作で 壁面が飾されています。 「第6作 花風 哀しみをたえて」 船出する愛しき人との 別れが 描...

はにわ大行進!

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ちょっと 古墳にハマってるので、 大阪歴史博物館の「 はにわ大行進 」 を覗いてきました。 特別展の埴輪たちは、 大阪市平野区の長原遺跡のもの。 1974年の地下鉄延伸で 発見された 長原古墳群 。 最初に見つかった古墳は 塚ノ本古墳と名付けられ… その後調査された古墳は、 221基 にのぼりました。 4世紀後半から6世紀中葉に かけて造られたのですが、 墳丘の破壊によって 埋葬施設や副葬品が 失われていたこともあり、 築造年代はよく分かっていません。 衝角 を表した冑形埴輪、 衝角とは体当たりで敵艦を 破壊するために軍艦の船首に つけたクチバシ状の突起のこと。 「 冑形埴輪 」国重文   長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 古墳時代中期の「 船形埴輪 」 丸木をくり抜いた船底に 舷側 (げんそく)板、 船首と船尾が分かれる構造。 オール を掛けるピポットが4対、 8人以上で漕いでいたよう。 「船形埴輪」国重文    長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 こちらの「船形埴輪」は、 栗東歴史民俗博物館 蔵のもの。 ピポットの間に横板がみられます。 漕ぎ手の腰掛けのよう、 船底の2箇所の穴に、 旗竿などの支柱があったのかも 知れません。 盾は矢や刀から実を守る武具、 被葬者を邪霊から護るために 置かれた「 盾形埴輪 」。  国重文 長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 前後に張り出した髷(まげ)を 結う 巫女の姿 。 前方に伸ばす腕は、 何かを捧げていたのかも? 動物の埴輪もいろいろ… 馬とか 鶏とか 家とか… 短甲形埴輪と草摺形埴輪 こんな変わった カタチの埴輪もありました。 鞆形埴輪 というもの。 鞆 とは、弓を射る時に 左手首の内側につけて、 矢を放ったあと弓の弦が 腕や釧に当たるのを防ぐ道具。 左腕に「 ほむた(鞆) ...