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ザ・船場な戦後ビル③

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「 船場な戦後ビル 」第3回 道修町二丁目から       平野町二丁目あたりへ… 「 米山薬品工業 」 角地にあるアールの効いた ビル。 1939年設立のアミノ酸と試薬製造の 化学薬品メーカーさん 米山薬品株式会社 のビル。 建築年はわからなかったが、 正面には黒光りの大理石? 船場な戦後ビルであることには、 間違いなさそうです。 角地なのでアール ! 「 大日本住友製薬 大阪本社ビル 」 くすりの町・道修町 の歴史史料を 展示されているビル。 海老江製薬所 のジオラマ模型や、 医薬品製造に使われた 蒸留缶や濾過器の展示もあります。 大日本製薬と 住友化学の薬品部門が合併し、 設立された大日本住友製薬。 ここは 大日本製薬の発祥地 でした。 植込に立ち入ると、 吹抜け地階のエリアに 1930年竣工の 旧ビルのファサード が 残されています。 窓はアーチ窓で、 脇に貼り付け柱に鬼面。 鬼は建物の中の者を守り、 悪を外に追い出すと… 伊奈製陶製造 の テラコッタ です。 ただ玄関前から植込へ行くと、 守衛さんが現れるかも… 不審者と見間違われないように! 「 丸善道修町ビル 」1995年 書籍販売でなく化学系商社の 丸善薬品産業大阪支店。 旧丸善本社ビルの 正面三連窓の束ね柱 … ビルの社名看板にアクセントが 添えられていました。 「 平二ビル 」1973年 オフィスファニチャーなどを 扱う イトーキ さんの イトーキ史料館 があった場所。 創業の地はこのあたり、 伊藤喜商店 時代も 懐かしめたそうです。 残念ながら2012年8月で 閉館となっています(T_T) 「 ビル皿井 」1977年 70年代のデザインらしさ。 各階の窓の角のアール、 下から見上げると 半円がくっきりと見て取れます。 エントランスは2012年に リニューアルされたのかも… 「 生駒ビルヂング 」1930年 大大阪時代のビルヂングだけど、 今なお堺筋で時を刻んでいます。 設計当初は「 ふくろう 」… 鷲が通りを見下ろし ています。 イケフェス でもおなじみです。 2016イケフェス では、 屋上の時計台も間近に 見せてもらいました。

ザ・船場な戦後ビル②

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「船場な戦後ビル」第2回 伏見一丁目から     道修町一丁目あたりへ… 「 トキワビル 」1930年 左右対称3・2・3の縦長窓。 外壁の黒ずんだタイルが、 昭和初期からの時の刻みを 感じさせています。 1階には 「 LOTUS FLOWERS 」さん。 船場の近代建築の代表格 「 芝川ビル 」にも出店。 クラシカルなビルヂングには、 花と緑がよく似合う。 ドアも真鍮。 2階以上は昔からの テナントさんのように思えます。 このビルの向かいにはかつて、 三越大阪店がありました。 側面部分にタイル貼りはなし。 ほとんどのビルがそうなのだが、 きっとお隣のビルで 見えなかったのだと思われます。 階段柱には 角取り丸み … いかにも近代建築に倣っています。 当然にエレベーターはありません。 旧三越跡地に聳える 「 ザ・北浜タワー 」2009年 住宅ゾーンの The Kitahama Tower、 商業施設ゾーン The Kitahama Plaza からなる地下1階、地上54階。 「 コバサクカンパニー 」 創業は1919年の 「純良薬品の製造販売」の 会社さん。 食品添加物、消毒剤などなど 薬品を取り扱っておられます。 最近は健康マットも販売とか… アルミサッシとタイル貼り、 昭和感を放っています。 「 旧小西儀助商店 」 1903年 ビルではありませぬが… 重要文化財指定の 表屋造りの巨大な町家建築。 小西儀助商店は大阪道修町で 創業した薬種商さん。 生薬刻みから洋酒、 化学製品へと業容を広げられ… あの黄色い ボンドのコニシ さん。 道修町 に面して主屋、 伏見通り に面して蔵、 堺筋 に面して貸家という 3通りに面した特等地に 今も健在です。

ザ・船場な戦後ビル①

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船場の街中に入ると… 小さなビルが建ち並ぶ。 そんな「 船場な戦後ビル 」を 歩いてみました。 第1回は 今橋一丁目から高麗橋一丁目へ… 「小川ビル」 1964年 堺筋に面する小規模ながら、 精度の高いデザイン。 チェスボードにも見える グリッドパターン アルミサッシがオシャレ。 堺筋に面する面の半分は 黒大理石で覆われ、 角度によってキラキラと。 イチョウも負けてません! 「 岩井コスモ証券本社ビル 」        2007年 北浜といえばライオン橋の 異名のある難波橋が有名ですが、 ここのライオンが勇ましい。 ビル自体は2007年の建築ですが、 「 北浜野村ビルディング 」 にも残る ライオンちゃんが ここにもいました。 こちらのビル… ビルテナントサイトによると、 設計施工が 野村建設工業 さん、 獅子がいるのは野村系だから? 「 ハヤシビル 」1986年 1階にはワインショップが 「 ライブラリー 」さん。 ベランダのデザインが なかなか粋な感じです。 「 ヌカタビル 」1964年 歯科医院が入る小規模ビル、 間口いっぱいをひとつの 大きな窓のように縁取るデザイン。 大阪万博を頂点に流行した、 スペイシーなデザイン 。 当時の EXPOパビリオン を彷彿。 角の丸みが宇宙的です!

京都特別公開2017秋 西念寺

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京都特別公開2017秋  木津川めぐりの ラストは、 西念寺 さんです。 JR加茂駅までも常念寺から、 グーグルマップ検索で行くと、 起伏の多いコース取り(大汗)。 なんとかたどり着いた加茂駅から、 奈良交通の直通バスで… でもバス停からかなりの距離、 最後は「 鹿背山城址 」なる 石碑から急勾配が続きました。 鹿背山城 とは… 中世の山城で、 山の斜面を削ったり、 土盛をして出来ています。 城は武士が作るものという 常識に対峙する存在で、 この城は興福寺が築城したもの。 藤堂氏が16世紀中頃に 大和に侵入したのち、 多聞山城(奈良市)を築城し本城、 西を信貴山城、 東を竜王山城(天理市)、 そして北の拠点を 鹿背山城 とする 四城体制を構築していたようです。 西念寺に残る 『鹿山寺略縁起』によると、 薬師如来 本尊の浄勝寺から、 鹿山寺に改める。 いまは「 鹿山 医王院 西念寺 」 (かせやま いおういん さいねんじ) 。 「 十一面観音像 」 京田辺市の白山神社の神宮寺 法雲寺 にあったもので、 普段は 京都国立博物館 に 寄託されている仏さま。 特別公開で お戻りになっていました。 裏堂 に祀らえる 「 阿弥陀如来坐像 」。 お顔の部分 面相部のみ 平安時代のもの。 裏堂に祀るとは、 「裏にあるお堂」 という意味ではなく、 かつては本尊として 中央に安置されていたものが、 新たな本尊が伝来され、 脇に祀られることになること。 薬師堂本尊「 薬師如来坐像 」 内陣…   周りを囲む 十二神将像 制作年代など まだまだ謎が多いとか… 研究がまたれます。