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アマ七福神めぐり〜寿老神

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寿老神は 常楽寺 (じょうらくじ) さんに。 二神目だったけども・・・ なかなかな探せませんでした。 「尼崎」という地名は、 古くは「 海士崎、海人崎、海崎 」 などと書かれていたようです。 「あま」という言葉は、 海に潜って貝などを採る 女性のことを指しますが、 古くは広く漁民や海民を 意味していたそうです。 お寺が多い尼崎のなかでも、 寺町の町域には、 ずらりと寺院がならびます。 尼崎藩主の 戸田氏鉄 が 尼崎城を築城したとき、 城下町形成の一環として 周辺にある寺院や 藩主ゆかりの寺院などを 一箇所に集めたことが 寺町が形成に繋がっています。 寿老神を祀る常楽寺は、 かつては観音巡拝札所。 現在の本堂は1992年の建立で、 仏教が現代人にとってもより 身近な存在であるとの願いで、 このよう設計になっただそうです。 お向かいの 廣徳寺 (こうとくじ) は、 秀吉から寺領拝領と伝わるお寺。 徳川秀忠の朱印状には寺領30石と 記されている由緒ある寺院も近くに。 金閣寺ような 鳳凰 が降り立つのは、 浄土宗知恩院末寺の 甘露寺 (かんろじ) 。 本堂は1687年(貞享4)に中興され、 江戸時代中期の質素で優雅な 浄土堂が建立されました。 時が移って、 1991年には旧本堂のイメ-ジを とどめて改築されたのだそうです。 ちなみにこの鳳凰はオスなんだとか。 常楽寺 浄土宗 清閑山 心誉浄雲上人により1504年創建

アマ七福神めぐり〜恵比寿神

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正月から七福神めぐりなるもの、 ウォーキングがてらに。。。 阪神電車の 「 駅前てくてく散歩 」に誘われて〜 阪神尼崎駅北の中央公園のモニュメント 「 鉄をうつ工業の神様 」だとか… 「躍進する工都…  永遠に輝く反映の鍵は守り継がれる」 とありました!! 商店街には参虎殿とある黄色の鳥居。 で…いつも 阪神電車から みてる大鳥居へ、 高さ17m、笠木22m、 柱直径1.6mです。 境内には タコさん 。 鉢巻きがかなりずり上がった状態。 実はもと尼崎城の 三の丸公園にもあるとか。 尼崎ゑびす神社 本戎 事代主神社 の碑石がありました。 八重事代主大神 (やえことしろぬしおおかみ) は、 本殿の御祭神のおひとり。 大国之大神=大国さん、 誉田別大神=八幡さん、 猿田彦大神=庚申さんとともに。 実はここの神主さんは、 全国でも珍しい 女性の宮司さん だそうです。 神主Nobbyのブログ    をやられるそうで。 ここにも 三猿さん が御鎮座。 尼崎ゑびす神社 「八重事代主大神 尼のえべっさんとして有名」 

神戸海岸通をゆく⑥ ブロックとハートの街づくり

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「 旧居留地十五番館 」 居留地の建設に取り組んだのは 兵庫県初代知事の 伊藤俊輔 その人でした。 実作業である測量は イギリス人の C.ブロック 、 区画づくりは同じイギリス人の 土木技師 J.W.ハート という 土木技師が担ったそうです。 およそ500m 四方の敷地、 南北8本、東西5本の ストリートで区切る。 建設当初は人道と車道に分けられ、 人道は煉瓦舗装だったそうです。 コロニアル様式 の建物は、 もともとは1881年ごろのもの。 阪神大震災で全壊したのですが、 1999年に復旧工事が完成し、 建築会社の持ち物になったあと、 2012年にレストランが開業。  鎧戸 など窓枠なども出来る限り、 当初のものに近づけてあるそうです。 KOBEの人気スポットのひとつ。 「 旧居留地38番館 」 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ の設計。 もとは ナショナルシティバンク の 神戸支店として 建てられたものだそうです。 大丸神戸店の一角を占めていて、 いまは有名ブランドの 旗艦店になっています。 コリント式オーダー は控えめ… 裏手は玉手箱のような ラッピングが施されています。 そうそう… 伊藤俊輔とは あの 伊藤博文 のことです。 アメリカ領事館 →神戸旧居留地15番館 建築年:1881年(明治14) 設計 :不詳 所在地:神戸市中央区浪花町15 ナショナルシティバンク 神戸支店 →神戸旧居留地38番館 建築年:1929年(昭和4) 設計 :ヴォーリズ建築事務所 所在地:神戸市中央区明石町38

神戸海岸通をゆく⑤ 神戸旧居留地へ

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外国人居留地が 開設するのが決まったのは、 いまから150年ほど前のことで、 日米修好通商条約 によるもの。 神戸開港が実現したのが 1868年1月1日のこと。 「 神戸海軍操練所跡 」 勝海舟 がここに 海軍操練所を求めたのは、 江戸末期に 網屋吉兵衛 (あみや きちべえ) が築いた 「 船たで場 (ふなたでば) 」を 引き継げると思ったからそうです。 船たで場とは、 船底に付いた貝殻や船虫などを 焼くための施設のことで、 いうなれば「 ドッグ 」に相当するもの。 J.H.モーガン 設計の 「 チャータードビル 」。 コリント式オーダーの 新古典主義建築。 細部の装飾には、 全くの手抜きがないのです。 見上げると ここにも クライスラービル 。 「 川崎汽船 本社ビル 」には、 扇型の装飾は抑えに抑えたことで、 ビルに輝きを降り注ぎつづけている。 「 神港ビルヂング 」と名乗る今も。 神戸居留地であったことを、 気品に寡黙に伝えています。 回転扉を回すと… 重厚な床タイルが 出迎えてくれました。 チャータード銀行 神戸支店 →チャータードビル 建築年:1938年(昭和13) 設計 :J.H.モーガン 所在地:神戸市中央区海岸通9 川崎汽船 本社ビル →神港ビルヂング 建築年:1939年(昭和14) 設計 :木下建築事務所 所在地:神戸市中央区海岸通8

神戸海岸通をゆく④ 神戸税関

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時計塔と玄関アーチの コントラストが秀逸、 「 神戸税関 」は大蔵省 営繕課の 大熊喜邦 さんの設計によるものです。 一見クラシックな造り… とみせておいて、 装飾のそれぞれには 極度の分解が進められています。 幕末に開かれた神戸港、 もともとは 兵庫港 と呼びましたが、 慶応3年には税関が設置されたそうです。 大正時代に火災で消失、 1927年に現在の地に建てられました。 国道沿いにあった「 行幸記念碑 」 1929年6月7日に 神戸税関に寄られたとか、 市民挙げて 奉迎歌をもってお迎えしたこと、 昭和天皇(当時28歳)が 貿易の状況について ご下問された記録が 残っているそうです。 よくみると時計塔の時計は、 9時18分を指しています。 大阪城内の行在所を出発される 直前の神戸の様子のようです。 御召艦 は午前10時40分、 現在の新港第2突堤 東側岸壁に着岸、 税関長の先導で 御召自動車 にご乗車、 兵庫県庁へ向われ、 その後 神戸海洋気象台、 神戸市役所、湊川神社をご視察ののち、 神戸税関に来られたようです。 阪神淡路大震災による修復の際に 外壁部分を残して再建されたそうです。 倒壊や崩落こそなかったそうですが、 当初は解体も検討されたのです。 ただ建物のモノが違うのでしょう、 復元されていますが重量感は健在です。 時計台になっている円柱の塔屋。 ちなみに時計は正面側と港側 それぞれに向けられていました 神戸税関 建築年:1927年(昭和2) 設計 :大蔵省営繕課(大熊喜邦) 所在地:神戸市中央区新港町12-1 参考文献:神戸税関HP 「 税関小掘れ話 税関長室は元貴賓室 」