上町台地のお寺を歩く...

こないだぶらりとした上町台地は、 まさに大阪の聖地といわれるところで、 200以上の寺社仏閣が 密集しているところです。 「 青蓮寺 」 もともとは聖徳太子が鴫野の地に創建した 「法案寺」というのが前身だそうです。 秀吉の大坂城築城のさいに生國魂神社が移り、 「生國魂十坊」のひとつとして隆盛したのですが、 明治の神仏別離の令によって分散したとか。 ここには竹本義太夫で有名な 「竹本座」の経営者である 竹田出雲 と竹田一族の墓がありました。 『 仮名手本忠臣蔵 』は彼の脚本なのだそうです。 「 増福寺 」 こちらも生玉寺町の寺院の一つで、 江戸初期の趣が残っています。 「まち歩きの方どうぞお入りください」と、 木戸に書かれていました。 もともとは小早川隆景に、 そしてのちに豊臣秀頼に仕えたという、 薄田隼人 という武将の墓所があります。 講談なので「 岩見重太郎 」として知られる 仇討ちや怪物退治で知られると 同一人物とされています。 大坂冬の陣で奮闘するも 、遊郭に通っている最中に 砦を徳川方に陥落されるという失態を犯したとか... 橙は酸味が強くて正月飾りにしか使えないので、 彼は見かけ倒しの「 だいだい武者 」と呼ばれたとか... ただ大坂夏の陣では自らの失態を恥じ、 「 道明寺の戦い 」で陣頭指揮を取り、奮戦した後に 華々しい戦死を遂げたという逸話が残っています。 「 銀山寺 」 天正19年(1591)創建で、 もとは大福寺と呼ばれていました。 秀吉が中国の金山寺に負けず劣らずとのことで、 「 寶樹山 銀山寺 」と命名されてこの名に。 秀吉の守り本尊 「雨宝童子立像」、 狩野山楽の筆による「 豊臣秀吉画像 」など 秀吉ゆかりの寺宝に持ちます。 こちらにあるのは 近松門左衛門 の 『 心中宵庚申 』(しんじゅうよいこうじん) のモデルになった「 お千代・半兵衛の比翼塚 」。 八百屋の養子・半兵衛と、 その妻のお千世(現在の文楽では「お千代」)が、 義母との関係から、夫婦であるにも関わらず 心中することになるというお話。 「銀山寺」の桜は実に見事でした… 桜を楽しめるのはまさに一瞬ですから またどこかで愛でてみたいと思います。