1970EXPOユニコレ③ ペプシ館の挑戦

タイムマシーンでやって来た?
ペプシ館のユニフォーム。

赤色のタートルネックのミニのワンピ、
白と黒のライン、太い黒色の
ビニールのベルトが重厚さを放つ。
帽子というより宇宙服のヘルメットを
思わせるフード…

黒色のロングブーツに
黒色のビニールショルダーバック。
斬新なデザインはコシノジュンコさん。

もともとは若者たちの
ディスコにする予定だったとか。
観客には1 人 1 人に
ハンドセットが渡され、
体験する世界への案内、
動きにつれて色々な音が
聞こえてくる仕組み、
現代の疑似体験にも通じています。

ハンドセットは床の音響装置である
ループ・コイルと連動し、
セクションに分かれたどの床でも、
床の感触に合わせて音が変化しました。

ペプシ館のテーマは"垣根なき世界"、
観客のハンドセットには、
フラッシュ・ライトが装着されていて、
点滅させることで巨大な半球体鏡に
自分の姿が瞬くのを眺めるというもの。


見せる、見せられるの
関係をなくした体験型パビリオン。

パビリオンの外観も異空間から到来、
立体トラスに三角形パネルが
三角錐状に組みった純白。
ドーム外側の 2500 本のノズルから、
絶え間なく人工霧を発生させた。
風のある日には雲となってたなびき、
夜はキセノンランプから発した
白い光りのビームに囲まれ、
幻想的な情緒を醸し出していたとか。

1970~90年台「コーラ戦争」…
コカ・コーラとペプシ・コーラの間で
行われた広告戦略がありました。
1970年大阪万博、コカ・コーラ館は?。

コーラの発明者はジョージア州の
薬剤師 ジョン・ペンバートンです。
1886年に発売のコカ・コーラが世界初、
ペプシ・コーラは遅れること8年、
1894年にノースカロライナ州の
薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが
発明したとされています。
どうしてもトップシェアである
コカ・コーラに追いつくことが
できなかったペプシが打ち出したのが、
広告戦略「ペプシチャレンジ」、
大阪万博での企業館もその一つでした。

ではコカ・コーラは?
アメリカン・パークと呼ばれる
13 の建物と二つの広場からできた
合同展示館に出展していました。

24時間体制で瓶のコカ・コーラを販売、
会期中に専用の営業所を設け、
販売総数は3,300万余り。

一世を風靡した
フローズン コカ・コーラも登場。

ケンタッキーフライドチキンの
EXPO70大阪での日本初の実験店舗、
1970年7月に日本ケンタッキー・
フライド・チキン株式会社が設立、
11月に名古屋市内に1号店の名西店、
大阪市内に2号店の東住吉店が
オープンするキッカケとなりました。
ペプシコとKFCとの関係は、
1986年ごろの買収によるもので、
EXPO70ではコカ・コーラだったかも?

アメリカン・パークには、
アメリカ商務省観光局、
アラスカ州とロスアンゼルス市の自治体、

コカ・コーラをはじめ、
アメリカン・エクスプレス、サンキス、
マイルズ・ラボラトリーズ、
エンサイクロペディア・ブリタニカ、
などの企業が参画しました。

1970年7月に日本ケンタッキー・
フライド・チキン株式会社が設立、
11月に名古屋市内に1号店の名西店、
大阪市内に2号店の東住吉店が
オープンするキッカケとなりました。
ペプシコとKFCとの関係は、
1986年ごろの買収によるもので、
EXPO70ではコカ・コーラだったかも?

アメリカン・パークには、
アメリカ商務省観光局、
アラスカ州とロスアンゼルス市の自治体、

コカ・コーラをはじめ、
アメリカン・エクスプレス、サンキス、
マイルズ・ラボラトリーズ、
エンサイクロペディア・ブリタニカ、
などの企業が参画しました。

水上飛行機"シリウス号"の展示したのは、
パン・アメリカンでした。

アラスカ館のホステスユニ

パン・アメリカンでした。

アラスカ館のホステスユニ

こちらロスアンゼルス市館

