猿田彦のミチを開くvol.22 少彦名命と猿田彦命
伊勢神宮には猿田彦命は
祀られておらず…
出雲大社には少彦名命社は、
存在しないのだそうです。
大阪北浜・道修町にある
少彦名神社は、
神農さんとして今なお
信仰を集めています。
鳥居ではなく注連柱
「定給療病方威蒙
(やまいをおさむるのりを
さだめたまひ)
其思頼
(みなそのみたまのふゆを
かがふれり)」
と刻まれています。
江戸末期から明治の政治家、
東久世 通禧の揮毫によるもの。
江戸初期の明暦4年頃から
薬種商が集まっており、
1722年(享保7)には、
道修町薬種中買仲間として
幕府より公認されました。
生命に関する薬を
神の御加護のもとに
間違いなく取り扱えるよう、
薬祖である神農氏とともに、
京都の五条天神から
少彦名命をお招きして、
仲間会所にお祀りしたもの。
境内に祀られれるのが、
五社明神は宮司家に
祀られていたもの。
伝わるところ…
伊勢の猿田彦神社の
猿田彦大神と天鈿女命、
久留米の水天宮、
香川の金刀比羅宮、
京都の北野天満宮です。
江戸時代から宮司家で
お祀りされていたのを遷座
されたものなのだそうです。
『神代の物語』※1 少彦名命より
少彦名命の話に戻ります…
少彦名命はあの国造りを
オオクニヌシと力を合わせて
成し遂げた神さまで、
『出雲国風土記』には、
「天の下所造らしし大神、
大穴持命と湏久奈比古命と、
天の下を巡る時に、
稲種此処に堕つ。
故、種と云ふ」とあり、
極めて大切な存在なのです。
出雲大社のご祭神を改めて…
主祭神はオオクニヌシ、
皇祖神と国津神に限られ、
例外として御客座五神や
祓戸大神と門神、
そして天津神が加わるのみ…
なぜか少彦名命が
見あたらないのです。
伊勢神宮での猿田彦命と
同じような扱いを
受けておられるように
思われてなりません。
少彦名神社の少彦名命は、
京都の五条天神をルーツと
されているという話がありました。
もともと「天神」とは、
天津神の造化三神の子のことで、
大神の手の間からこぼれた
神であるがゆえに、
少彦名命は「天神」
あるいは「手間宮」として
祀られてきたのです。
天満宮の菅原道真公が
天満大自在天神
として祀られる、
遥か昔のこと。
『出雲神話』※1 少彦名命より
「きれいな水で体を洗い、
蒲の黄(はな)をとり
浜辺に敷いてその上を転がれ」と
教えられ、もとの膚に戻ることが
出来たというお話…
大国主命は薬の神様ともされ、
故にガマの花の花粉の止血、
消毒効能を教えたことを
示唆しているとも言われています。
白兎は少彦名命とも…
この画は蒲が蝦蟇に
置き換えられていると、
そう見るとオモシロイ。
八坂神社の大国主大神と白兎
※1『神代の物語』
佐野保太郎 著・織田観潮 絵(小学館/1943年)
※2『出雲神話』
後藤蔵四郎 編(川岡清助/1915年)