なにわの杜めぐり 関目神社・城東区成育


虎次郎のいる隣町は「関目」というところ...
そこにあるお社が今回の「関目神社」です。

地下鉄谷町線が走る大きな道から見えるが、
正面はすこし中に入ったところにある
南向きが正面で大きな楠木が出で立つ。
氏子会館なるものあり、
いまなお信仰を集めているようです。

実はここは豊臣秀吉が
大坂の地に拠点を置こうとしたときに
鬼門治め」としたところです。
京都平安京には「比叡山延暦寺」、
江戸開府のときの「上野寛永寺」といった、
新しい都を開くときに
鬼門に鎮護の社寺を建てたその大坂版。

「関目神社」というのは実は通称で、
正面鳥居にもあるように
正式には「須佐之男尊神社」です。
北の護りとして武神である
須佐之男尊」が祭神として祀られています。

そして鬼門鎮護の神として
「毘沙門天王」が勧請されています。

敵が攻めてきた時に進軍を防ぎ、
敵軍兵数を察知するために、
大阪城築城の際に作らたと伝わる、
七曲り」といわれる
屈折が続く要衝があります。
現在の野江・関目を中心とした一帯は、
平安時代以降は「榎並荘」と呼ばれていて、
「関目」という地名はその頃から、
見張り所=「目で見る関所」が
あったことに由来します。

社殿は「生徳年間」の台風による被災や、
明治18年(1885)の大水害により流出。
ちなみに「生徳年間」とは新井白石の改革のころ。
古い灯籠には
文化13年(1815)の文字が見えます。
その後 明治21年(1888) に復興、
現在の本殿は1977年に再建されたもの。
「毘沙門天王社」は1985年に再建とか...
社殿奥には「明治天皇御駐輦碑
「輦」とは天子の乗り物のこと、
明治天皇が行幸の途中で車を止めたところ。
「明治帝が関目で休憩の折、
 当地の農民を励ました」のたと伝わります。
慶応4年(1868)3月21日、
江戸へ向かって官軍が進行する中、
15歳の明治帝が大勢のお供を連れて、
京の御所を出立したのだそうです。
京街道を西へ下り、1泊目は石清水、
2泊目は守口、23日になって、
関目の西井茶屋で休憩したそうで、
「明治天皇聖躅碑」があるとか。

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