天満寺町コンクリ寺めぐり⑯ 九品寺〜儒学者 五井持軒のこと


扁額には"九品佛"とある
行基の開創と伝えられますが、
1583年(天正11)に住職 念誉上人
によって浄土宗に改められたとか…
境内に儒学者・五井持軒の墓、
"大阪あそ歩マップ"に
紹介されていましたが、
墓所の碑石は見当たりません。

大阪四十八ヶ所地蔵霊場
第5番札所に列せられていますが、
この霊場として活動していない上に、
一般の拝観自体を拒絶している
お寺も多いそうで九品寺もそんな感じ。

1615年から1833年に至る
大坂市中の出来事を記した
摂陽奇観』巻24の上、
宝永5年(1708)12月の記事。
「仏土山十万寺 第六代主説空なる僧、
 大坂において四十八ヶ所の
 地蔵巡礼を初め、
猶諸人に信心
 なさしめん為に十輪経および
 占察経本願経延命経の要文を
 直談して地蔵菩薩の
 大慈大悲深長なる事を示せり。」
とあり…

天満東寺町 九品寺
三尺一寸 慈覚の作
とみえます。
摂陽奇観』を始めに記したのは、
大坂の木綿問屋の子として
生まれた 浜松歌国という人で、
のちに芝居が好きが興じて
狂言作者なったそうです。
ただ歌国の生存中はもちろん、
死後も刊行されることなく、
大坂島之内鰻谷の吉野家に秘蔵
1909年になって市史編纂を契機に、
浪速叢書』に翻刻されたもので、
いまでは国立国会図書館
デジタルコレクションで、
誰でも目にすることができます。

九品寺の境内の一部は、
コインパーキングに…

背後には高層マンションも…

何度か訪れましたが、
人影が見られることは
ありませんでした…

五井持軒のこと
持軒は1641年(寛永18)大坂生まれ、
初めは医業を志しましたが
ある女性患者の診断ミスで自責…
その後 儒学に転じたそうです。
五井家は大和国の出身で
中村惕斎に師事し貝原益軒らとも
広く交遊したものの、
50過ぎ頃からの貧乏暮らしは、
清貧に甘んじるどころではなく。
北鍋屋町…
いまの中央区淡路町で開塾、
四書に教授1本に打ち込んだので
「四書屋加助」※と呼ばたそうです。
晩年は下河辺長流に国学を学び
『校註日本紀』を著しています。

持軒は儒学だけでなく、
日本書紀』に精通し、
和歌も嗜んでいたそうでして…
彼の子が後に懐徳堂の助教を
務める五井蘭洲にあたります。
蘭洲は父から学んだ漢学と和学を
さらに発展させることになります。

増輝山 安養院 九品寺
[くほんじ]
創建:不詳
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来 
札所:大阪四十八ヶ所地蔵霊場5番 
住所:大阪市北区同心1-4-8

※四書屋加助とは?
四書とは論語・孟子・大学・中庸を指し、
加助は五井持軒の通称。
四書を屋号にするのがいかにも商都大坂。

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