天満寺町コンクリ寺めぐり⑩ 寶珠院〜モダンな菅公ゆかりの天満寺


寶珠院のあるところは、
大阪天満宮の北方にあたり、
このあたりは"天満与力町"。

菅原山 寶珠院の扁額、
寺伝によると825年(天長2)、
高野山開創にあたって
しばしば浪速の地に来ていた
空海が安居していてのがこの近く。
大川に面した地に開基され、
"如意珠院"として"駄都秘法"※の修練地
として広大な寺域を誇っていたとか。
その後 室生寺堅恵大徳
大師の足跡を慕い入山し、
"天満寺宝珠院"と改称と伝わります。

本殿の扁額には"天満宮寺"、
菅原道真が当時の住職と学友で、
大宰府左遷の折に立ち寄ったのだとか。
その後道真が清和天皇に奏請、
"天満郷"を寺領としたことで、
1396年(応永3)に後小松天皇より
勅号"菅原山天満宮寺"を
賜ることに至ったのです。

大阪夏冬の陣後の復興でこの地に移り、
隆盛を極めまていたのですが、
大阪大空襲で建物がほとんど焼失。
現在の建物のほとんどは1967年に
再建されたものだそうです。

本尊の大日如来は失われましたが、
多くの寺宝が伝えられています。
木造 十一面観音菩薩立像は、
装飾的な宝髻、膨らんだ地髪、
抑揚豊かな衣文の表現が特徴。
寺伝によると菅原道真は自ら、
十一面観世音菩薩や写経を
納めたといわれています。
今残る十一面観音菩薩は、
仏師や年代の銘記はないものの、
13世紀後半の貴重な鎌倉彫刻
大阪天満宮と密接な関係を踏まえると、
長らく観世音菩薩を"天神の本地仏"、
として祀っていたと思われます。

境内にある天満宮には梅鉢紋
中世には大阪天満宮と神宮寺
関係にあったともいわれる寶珠院。
江戸時代の地誌には、
境内には天神をまつる社があり、
人々の信仰を集めていたとあります。
この社を大阪天満宮の"奥の院"
とする風聞(ふうぶん)を巡って、
大阪天満宮と争論があったとも…

山門にも梅の紋がみられます…
そもそも神社と神宮寺の関係は、
ながらく神仏混合の状態が一般的
神仏習合とも呼びますが、
神社の境内に神宮寺が造られたり、
社僧と呼ばれる僧侶が神前で読経
したりすることは普通のことでした。

祭政一致の復古体制を目指した
明治新政府は、全国の神社を
国家神道として管理する
近代社格制度を整えたのです。
わかりやすい例をひとつ…
天満宮と名乗りながら寺名を
冠している"道明寺天満宮"
1872年6月に道明寺境内にあった
天満社を土師神社と改称したもの。
敗戦による国家神道体制廃止で、
1952年に道明寺天満宮となるのです。

山門には二つの霊場が示されています。
"摂津国八十八ヶ所第十番"、
もう一つは"天神二十五社巡り”。

天神めぐりには二十五には訳があり
道真公が承和12年6月25日に誕生され、
延喜3年2月25日に薨去された…
天神信仰ゆかりとされているのです。
かつては大坂にも天神めぐりが、
存在していたようですが…
天神社が消滅しまっているという
社寺も多いようで…
平成版の大阪天神めぐりが、
2016年に新たに選定されたとか…

※駄都秘法とは?
 駄都法というのは仏舎利を密教の作法で
 供養する法(ワーク)のこと。
 日本の密教では最極甚深の秘法として、
 「どんな願いも叶い、物質的な願いも
 精神的な悟りも達成される」とか…
 秘法ですから…これくらいに。

菅原山 天満寺 寶珠院
[てんまじ ほうじゅいん]
創建:825年 弘法大師空海
宗派:真言宗御室派
本尊:大日如来
札所:摂津国八十八ヶ所霊場第10番
   天神二十五社巡り
住所:大阪市北区与力町1-2

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