生玉寺町コンクリ寺めぐり① 生魂山 齢延寺


生國魂神社のすぐ南…
"齢延寺"を掲げる観音菩薩と
阿形の仁王像が出迎える…

天王寺七坂の一つ"源聖寺坂"
坂の上り口にある源聖寺の境内を
けずって東西に抜ける道に…
この名で呼ばれる由縁です。

この築地塀の北側が源聖寺の境内。

上り口から東に10mほどの石畳は、
1969年に廃止された
大阪市電の敷石の転用とか…

織田作之助『夫婦善哉』の舞台と
解説されることが多いのですが、
この坂は司馬遼太郎と馴染み深いとか…
今東光『悪名』朝吉とお琴の"愛の巣"、
ひょっとして朝吉カップルと
定一は坂の途中ですれ違っていたかも。
司馬遼太郎の七十二年」※に、
「中学三年生。
 浪速区御蔵町の市立図書館に
 通い始める。出征時までつづく」、
図書館は高島屋別館東にあったのです。

かつて長屋が並び「ガタロ横町」と
呼ばれた地域でしたが、
坂を上りきったところに
"生魂山 齢延寺"の碑石、
左に立つのは坂下の高層マンション
"シエリアタワーなんば"です。

生國魂神社のすぐ南に位置する
"風光明媚な立地"と綴られることが
多いのですが…大阪人ならよく知る
生玉ホテル街にほど近く…
谷町筋から入るとここに寺町が
あるとは思えないロケーション。

鐘楼を兼ねた仁王門…
"藤澤東畡先生墓所"の大きな碑石が
門前に建てられています。
東畡以来、藤澤家代々の菩提寺で、
境内奥には東畡、南岳、黄鵠の
墓が並んでいるのだそうです。

漢学者 藤澤東畡(とうがい)は、
四国高松出身で31歳の時、
大坂に出て淡路町御霊筋西に
泊園塾」を開いた人。
のちの"泊園書院"はその子の南岳、
南岳の子の黄鵠、黄坡によって
受け継がれて関西大学のルーツ
一つとなる私塾と知られているとか…

こちら吽形仁王像…
観音菩薩は笛を吹かれます。

こちらは

木鼻には牡丹を咥えた唐獅子

右の唐獅子は舌を見せます。

豊川・吒枳尼真天の祀られる
奥に彼岸花が咲くとか…
江戸時代は「齢延寺の彼岸桜
と呼ばれた桜の名所であったそうです。

向拝付きの庫裏玄関。

前柱を龍が昇ります。

こちらが本堂で御本尊は釈迦如来。

山号の生魂山の扁額
1620年に僧 義春によって
曹洞宗の寺としてかつては、
真田山に開創されたとされます。
1623年にここに遷座…

こちら観音堂の本尊で、
木造 聖観音菩薩立像
伝来の経過は不明ですが、
聖徳太子作と伝承されています。
当初は彩色があったそうですが、
浅い彫り口の衣文、浅い体奥…
定朝様の影響を示しているので、
平安時代後期の作とか。

本堂に対峙する原老柳の墓、
緒方洪庵斉藤方策と並ぶ
名医と称されたそうで、
老柳得意のポーズとして
1860年(万延元)の7回忌に建立。
老柳観音とも呼ばれていて、
病気平癒に霊効あらたかとか…

本堂横には鍋井田丸家之塚
画家 鍋井克之(1888~1969)は、
風景画の制作を一貫した大阪の洋画家。
父は土佐藩士 田丸良也で、
1896年に本家の鍋井家を相続。

《鴨飛ぶ湖畔》鍋井克之 
 1932年 大阪市立美術館

現地での制作を徹底し、
モチーフを求めて全国各地に…
紀南地方の風景を好んでいたとか。

帰りの仁王門…

開け放たれいた透かし彫りは裏側、
こちらは三猿かと…

「ちょっと意趣な坂である。
 坂の上を夕陽ヶ丘という。
 上から見おろすと、
 坂の両側の寺院の崩れ土塀が
 うねうねとうねり、
 不規則な石畳が、
 蛇の腹のようにみえる。」
司馬遼太郎『俄』の主人公明石屋万吉、
口縄坂で刺客に襲われているのです。

時がめぐって性と欲が隣り合う…
そんな生玉の風景が今も、
うねうねとありました。

生魂山 齢延寺
[いくだまさん れいえんじ]
創建:1620年 義春上人
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来 
住所:大阪市天王寺区生玉町13-31


「司馬遼太郎の七十二年」山野博史
 『司馬遼太郎の跫音』所収
 1998年 中公文庫


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