太子霊場めぐりvol.22 第二十五番 紫雲山頂法寺六角堂
聖徳太子霊場めぐり…
かなりご無沙汰になっていましたが、
京都で年末を過ごしたので、
"京のへそ"といわれる六角堂へ。
正式な寺号は頂法寺ですが、
御堂の形から"六角堂" "六角さん"
と呼ばれ、親しまれています。
門前を東西に走る道も"六角通り"。
聖徳太子が創建といわれ、
平安京以前からここにある古い寺院。
かつて聖徳太子が四天王寺建立の
用材を求めて山背へ来られたのですが、
一服しようと近くの泉で水浴びをした。
いつも首からかけていた
如意輪観音像をそばの木に
引っかけておられたのですが、
水浴びを終えていざ取ろうとすると
それが取れない…
そこへ通りがかった農夫に
「その木の上に紫色の雲が見える」と。
太子はこの木が霊木であることを悟り、
この木を切って如意輪観音を納めたのが、
紫雲山六角堂の起こりと伝わります。
御本尊 如意輪観世音菩薩は、
"如意"との名の通り、
思いのままに願い事をかなえてくれる
"宝珠(如意宝珠)"と、
魔を打ち砕く"輪宝(法輪)"を
持っておられます。
御本尊は秘仏…
秘仏である御本尊の御身代わりが
"本尊前立"なのですが、
伝弘法大師作 如意輪観音鞘仏(左)、
伝建礼門院徳子寄進如意輪観音像、
ともに秘仏とされていて2018年に
西国三十三所草創1300年記念で
御開帳されたのが初公開でした。
堂内左手に"聖徳太子"の扁額。
聖徳太子沐浴の古跡に立つ"太子堂"
持仏が光をはなって
「我は汝の本尊となって七世を経たが、
ここは衆生に利益を与えるに
ふさわしい地であるから
御堂を建ててほしい」とお告げ。
堂内には「南無仏二歳像」、
物部守屋と戦いの
騎馬像が安置されています。
聖徳太子1400年大遠忌の幟
築地塀にも奉修とありました。
本堂右手には"華道発祥之地”…
聖徳太子が沐浴した泉にちなんで
名付けられた塔頭が池坊。
池坊の僧が六角堂の本尊である
如意輪観音に花を供える役目を担い、
室町中期頃に池坊専慶が花生けで有名に。
その後、池坊を華道家元として
様式が確立され、現在に至っています。
六角堂の姿を実感できるのは、
"WEST18"のお蔭です。
1996年に池坊会館の南隣に竣工の
いけばな研修教室がある10階建ビル。
シースルーのエレベーターが
お薦めです。
で…なぜ六角なのか?
境内にある六角形の石「へそ石」
体の中心であるへそに擬えたとか。
門前の六角通りにあったものを、
明治時代初期に門内へ移したもので、
六角堂が京都の中心とされる所以。
平安京の造営で新たに造る道路が
六角堂にぶち当たることになって、
お堂を移動させないといけない…
太子ゆかりの大切なお堂だけに、
扱いに困り果てた役人。
本尊に「この土地を離れたくないと
おぼしめしならば、どうか、
南北のいずれなりとも、
お移りいただきたい」と。
すると不思議なことに一夜にして、
六角堂はひとりでに約15メートルほど、
北へ五丈移動されたのだとか…
六角については古今東西で、
意味付けがあります。
亀甲紋は六角形ですし、
四方に二面加えることで、
建物には全面から多くの
採光を得ることができます。
六角形プリズムについても、
ひとつのバランスを放つのです。
六角堂の御詠歌は
「わが思う心の
うちは六(むつ)の角ただ
円(まろ)かれと祈るなりけり」。
「六の角」とは、
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)
によって生ずる六欲のことで、
これらを捨て去って角を無くし、
円満になることだと。
「六根清浄を願う」という祈りを
込めた形と伝えられています。
門前を東西に走る道も"六角通り"。
聖徳太子が創建といわれ、
平安京以前からここにある古い寺院。
かつて聖徳太子が四天王寺建立の
用材を求めて山背へ来られたのですが、
一服しようと近くの泉で水浴びをした。
いつも首からかけていた
如意輪観音像をそばの木に
引っかけておられたのですが、
水浴びを終えていざ取ろうとすると
それが取れない…
そこへ通りがかった農夫に
「その木の上に紫色の雲が見える」と。
太子はこの木が霊木であることを悟り、
この木を切って如意輪観音を納めたのが、
紫雲山六角堂の起こりと伝わります。
御本尊 如意輪観世音菩薩は、
"如意"との名の通り、
思いのままに願い事をかなえてくれる
"宝珠(如意宝珠)"と、
魔を打ち砕く"輪宝(法輪)"を
持っておられます。
御本尊は秘仏…
秘仏である御本尊の御身代わりが
"本尊前立"なのですが、
伝弘法大師作 如意輪観音鞘仏(左)、
伝建礼門院徳子寄進如意輪観音像、
ともに秘仏とされていて2018年に
西国三十三所草創1300年記念で
御開帳されたのが初公開でした。
堂内左手に"聖徳太子"の扁額。
聖徳太子沐浴の古跡に立つ"太子堂"
持仏が光をはなって
「我は汝の本尊となって七世を経たが、
ここは衆生に利益を与えるに
ふさわしい地であるから
御堂を建ててほしい」とお告げ。
堂内には「南無仏二歳像」、
物部守屋と戦いの
騎馬像が安置されています。
聖徳太子1400年大遠忌の幟
築地塀にも奉修とありました。
本堂右手には"華道発祥之地”…
聖徳太子が沐浴した泉にちなんで
名付けられた塔頭が池坊。
池坊の僧が六角堂の本尊である
如意輪観音に花を供える役目を担い、
室町中期頃に池坊専慶が花生けで有名に。
その後、池坊を華道家元として
様式が確立され、現在に至っています。
六角堂の姿を実感できるのは、
"WEST18"のお蔭です。
1996年に池坊会館の南隣に竣工の
いけばな研修教室がある10階建ビル。
シースルーのエレベーターが
お薦めです。
で…なぜ六角なのか?
境内にある六角形の石「へそ石」
体の中心であるへそに擬えたとか。
門前の六角通りにあったものを、
明治時代初期に門内へ移したもので、
六角堂が京都の中心とされる所以。
平安京の造営で新たに造る道路が
六角堂にぶち当たることになって、
お堂を移動させないといけない…
太子ゆかりの大切なお堂だけに、
扱いに困り果てた役人。
本尊に「この土地を離れたくないと
おぼしめしならば、どうか、
南北のいずれなりとも、
お移りいただきたい」と。
すると不思議なことに一夜にして、
六角堂はひとりでに約15メートルほど、
北へ五丈移動されたのだとか…
六角については古今東西で、
意味付けがあります。
亀甲紋は六角形ですし、
四方に二面加えることで、
建物には全面から多くの
採光を得ることができます。
六角形プリズムについても、
ひとつのバランスを放つのです。
六角堂の御詠歌は
「わが思う心の
うちは六(むつ)の角ただ
円(まろ)かれと祈るなりけり」。
「六の角」とは、
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)
によって生ずる六欲のことで、
これらを捨て去って角を無くし、
円満になることだと。
「六根清浄を願う」という祈りを
込めた形と伝えられています。