太閤秀吉を辿る vol.9 豊臣方勇将 薄田隼人


薄田隼人正兼相豊臣秀頼に仕え、
大坂の陣では侍大将に任じられたが、
前半生の経歴は詳らかではありません。

コンクリ寺となった
寺院が目立つ生玉寺町のなかで、
山門は創建当時が残る"清光山 増福寺"。

本堂は1768年(明和5)に
惜しくも失火で焼失しましたが、
1773年(安永2)再建…
創建は1602年(慶長7)で、
良誉上人冥託が開基と伝わります。

浄土宗で御本尊は阿弥陀如来立像
大阪新四十八願所 第32番札所。

春日の仏師作と伝えられ、
第32願「国土厳飾の願」…
浄土においてあらゆる物が
無量の宝石で飾られ、
十方世界に薫って、
菩薩が修行の増進への願い。

多くの寺門が閉じられるなか、
こちらは"大阪まちあるき"への案内。

足元に小さく→

大きな五輪塔で目立つ位置に…
隼人の6代目の孫に当たる
薄田兼実が200年忌に
追善供養に建立されたもの。

1814年(文化11)のことで、
墓石側面には隼人経歴と
墓建立の経緯が刻まれています。

《魁題百撰相 薄田隼人》
 1868年 月岡芳年

彼に関する確かな記述は、
秀吉の馬廻衆として領した
とするところから…
秀吉に仕えた後の兼相の動向は、
実はよく分かっていません。
家康と秀頼の二条城での会見、
1611年に禁裏御普請衆に名があり、
のちの旗本のような存在だったやも。

「難波合戦の刻京橋口に出陣して。
 寄手の大軍を討破ること数回。…
 隼人これをみて敢て騒がず。
 隊兵に下知し空に対ひて
 空炮を発さしむ。
 敵兵是に誑惑せられて。
 陣列乱るゝ所を見すまし。…」
《魁題百撰相》に綴られます。

こちら松平忠昌との勇壮
岸和田をはじめの"だんじり"の
彫り物としてよく見られる構図です。

《薄田隼人 実川延若》
 歌川芳滝


ただ…大坂冬の陣で、
博労ヶ渕の砦に立てこもり、
木津川を上る徳川勢を散々に
打ち破り名を挙げたのに、
大勝利に酔い側近を引き連れ
新町の色里に入り浸り…


蜂須賀至鎮の攻撃に主将不在、
統率が取れないままに砦は陥落、
見掛け倒しの「橙武者」
野田福島での水軍の戦い、
九鬼守隆らに敗北した大野治胤
そう呼ばれたのですが…
橙とは正月飾りに使う蜜柑のこと、
酸味が強く飾りくらいにしか使えない。
天橋立仇討の図》一部
 1860年 歌川豊国

薄田隼人は父の影響で、
"鞍馬八流"という剣術の奥義を
取得したとされています。
父の仇 広瀬軍蔵を追い諸国を流浪、
"天橋立の仇討ち"で本懐を遂げたと。
岩見重左衛門の次男としての名、
それが"岩見重太郎"とされています。
《岩見重太郎狒々退治の図》
 1865年 歌川芳年

仇討ちを果たした重太郎は、
叔父の薄田七左衛門の養子に。
豪傑『岩見重太郎』という読み物は、
その後も愛されていたようでして、
薄田隼人こと岩見重太郎を
演じる役者たちのキャラクターは、
諸国を廻る武芸者とはしながらも、
優美な姿で描かれて…
史実が追えなくなってゆくのです。

歌川芳年の図の狒々退治は、
熊本でのこととしていますが、
大阪の野里の村にはこんな言い伝え。
稲を根こそぎ奪い去るヒヒ、
退治をの住吉大社で願ったところ、
次の日に代官がお告げを伝えに…

『怪獣蛇九魔の猛襲』1961年

お告げを信じ毎年正月16日、
村娘を差し出していたとか。
ある年に生贄の娘の恋仲が、
仲間達とともに救をうとすると、
ヒヒの大軍が現れます。
なぜが「熱い、熱い」と、
ヒヒの正体は代官がだった…

理由はどうあれ役人殺しは重罪
「やあやあ、憎っくきヒヒを
 あの岩見重太郎が
 成敗してくれたぞ!」と。
『怪獣蛇九魔の猛襲』は、
近江国に伝わる重太郎の
狒々退治の冒険時代劇。
『逆襲 天の橋立』に続く(笑)
ブログったことがありました。
羽曳野市誉田に建つもので、
1885年(明治18)の建立、
兼相の子孫にあたる
広島藩主の浅野家一族によるもの。
隼人の子孫 薄田兼郎さんが
古戦場を精査して、
隼人の地として建立したもの。

ではなぜ…生玉寺町の増福寺に、
6代目子孫は墓所を求めたのか?
江戸期より上方の出版界に
功績のあった檀家様が多く、
「版元の寺」「本屋の寺」
ともいえる歴史を有しているとか。
絵入り百科事典『和漢三才図会』を
編んだ医師 寺島良安の墓所も…
薄田隼人兼相の生涯はその殆どが
講談などの民間伝承から端を発する
話によって知られており、
そのせいもあって彼の人物像は
今一つ統一した見解が現れません
《今様押絵鏡 薄田隼人》
 1860年 歌川国貞

想像を巡らすと…
勇猛果敢な岩見重太郎こと
薄田隼人"橙武者"の誹りを、
払拭するため版元との繋がり、
ここに墓所を求めたのかも。
増福寺の本堂奥に"ZEN"の文字、
艶色と墨色が交叉しています。
「別れても 倶会一処の 浄土あり」
お後がよろしいようで…

清光山 白毫院 増福寺[ぞうふくじ]
創建:1602年 良誉上人
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来立像(無量壽佛)
札所:大阪阿弥陀新四十八願所第32番
住所:大阪市天王寺区生玉寺町5-24

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