天満寺町コンクリ寺めぐり⑬ 龍海寺と洪庵の適塾、除痘館


曹洞宗の龍海寺
お正月三が日に訪れましたが、
この日も山門は閉じられていました。
口伝によると福井県武生の金剛院、
亀洲宗鶴大和尚という人が
豊臣秀吉の招請を受けて開山とか。
大阪城鎮護・火防の寺として
火の守護として尊崇されていました。
開山は1584年(天正12)のことで、
その礼として建てられ額は
秀吉自筆でありましたが、
大阪大空襲による焼失により、
戦後再建され現在に至っています。

"緒方洪庵墓所"の石碑…
言わずと知れた大阪を代表する人物、
龍海寺の境内地には八重夫人と
ならんで墓石がならんでいるとか


緒方洪庵(1810~1863)は
日本近代医学の父」と呼ばれ、
中天游の私塾・思々斎塾に入門。
江戸や長崎でも学び、帰坂後、
医者の先輩・億川百記の娘・八重
結婚して6男7女をもうけました。

"適塾"こと適々斎塾を開き、
福澤諭吉、橋本左内、大村益次郎など
錚々たる人材を輩出されました。
学習に対しては厳格でしたが
温厚至極で怒りを発することなく、
福澤諭吉は「類まれに見る高徳の君子
と記しています。

1849年(嘉永2)佐賀藩輸入の種痘を得、
今の道修町に"除痘館"を開いて、
天然痘の予防接種を始めています。

天然痘のワクチン"牛痘苗"が
本格的に日本に移入されたのは、
1849年(嘉永2)6月のことでして、
長崎出島のオランダ商館医
モーニケが牛痘苗が分苗され、
京都の蘭医 日野鼎哉を介して洪庵へ。

開設当初の除痘館の引札には
大阪道修町御霊筋西へ入 除痘館
とある地には"古手町除痘館記念碑"が
建てられています。

"うどんすき"の名店 美々卯さん
本店別館の看板の前に記念碑。
2006年に建てられたものだそうです。

《除痘館 種痘啓発錦絵》1850年

江戸の種痘医・桑田立斎出版の原画を
大坂除痘館が翻刻して用いたもの。
天然痘の護り神"牛痘児"が
白い雌牛にまたがり種痘針になぞらえ、
槍で疫鬼を駆逐するさまを描く。
当時の牛痘種痘は小児の腕から腕に
「たね」を受け継ぐ方法でした…
接種を受け継ぐ小児がいなければ
その継承は図れないこと…
乗り越えたことは洪庵をとりまく、
人脈のなせる業だったのです。

桑田立斎は蝦夷地流行にあたり、
幕命により蝦夷に赴いて、
アイヌの人を救ったことで知られます。

"古手町除痘館記念碑"のレリーフ…
疫鬼が"疱瘡神"に重ねられているのは、
牛痘種痘が"旧来の迷信を振り払う"
意味を暗示しているのでしょう。
龍海寺洪庵墓所の話に戻します。
緒方洪庵が葬られたのお墓は
東京文京区高林寺にありますが、
大阪龍海寺は緒方家の菩提寺で、
洪庵の遺髪が埋葬されています。

《八重肖像画》適塾

そして、龍海寺の洪庵墓石には、
妻・八重の墓が寄り添うように
八重は1000人以上といわれる
適塾生達の面倒をみた人物で、
「わたしのおっかさんのような人」
「非常に豪いお方」

と諭吉は回想しています。
八重の葬儀には約2000人が参列し、
葬列の先頭が日本橋に到達しても、
2キロ以上離れた北浜の自宅から
八重の棺は出ていなかったとか。
ちなみに亡くなった翌月、
福沢諭吉が駆けつけ、
お墓参りをし丁寧に掃除していった

そんなエピソードも残ります。

八重の父である億川百記という人は、
いまの西宮名塩"摂州名塩"の名塩紙
藩札用紙、壁紙、薬袋用などを
大坂で売りさばく医薬業でした。
医師を志し中天游思々斎塾に通い、
その後名塩で北摂地方最初の
蘭医として開業した人です。

種痘啓発用の"引札"いわゆるチラシ
除痘館資料室には引札とともに
"疱瘡済証"が遺されています。

こちら国立科学博物館のもの…
除痘館資料室に遺るものには、
大坂道修町三丁目の5歳になる
塩野屋吉兵衛※の証札でした。
木版摺りの証紙には嘉永2年12月、
除痘館開設翌月には、
すでに採用されていたのです。


人びとに配布する「刷りもの」が
種々の形で増加していくのは、
除痘館活動が組織として定着し、
充実してくることを物語っており、
そこには億川百記のはたらき
大いであったことを想像させます。

1858年には除痘館の活動が認められて
幕府の官許を受けるに至ります。
全国に先駆けてのことでした…

その後の除痘館のこと
1867年(慶応3)に幕府の種痘公館に、
1870年には
官立大阪医学校病院附属種痘館
引き継がれていきます。

尼崎除痘館の跡には、
緒方洪庵記念財団 緒方ビル

洪庵の孫にあたる緒方正清さんが
1902年に緒方婦人科病院を開設、
病院を引き継いだ緒方祐将さん、
1902年にこの地に耐震耐火の
コンクリート造りの病院を建設。

以前のビルは解体されましたが、
10診療科目を擁する医療ビルに…
その4階に除痘館記念資料室
開室されています。

塩野屋吉兵衛とは?
証紙にある塩野屋吉兵衛は、
現在の㈱塩野香料の三代目 
吉兵衛にあたります。

蓬莱山 龍海寺
[ほうらいざん りゅうかいじ]
創建:1584年 亀洲宗鶴大和尚
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼
住所:大阪市北区同心1-3-1

平日 10:00~16:00
土曜 10:00~13:00
日、祝休館 ・ 入館無料
住所:大阪市中央区今橋3-2-17
   緒方ビル4F
TEL:06-6231-3257

※このブログは以下の書籍を参考にしました。
 除痘館記念資料室開室10周年記念
『大坂除痘館の引札と摺りもの』
 2018年

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